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ステージの照明が落ち、客席のざわめきが遠くなる。
翔はピアノの前に座り、譜面を開く。昴の曲だ。
――この旋律に、二人だけの時間、愛、痛み、全てが刻まれている。
指先が鍵盤に触れる。冷たく、しかし確かな温もりを持った音が空間に広がる。
一音、一音に昴との日々が滲み出す。深夜の練習室、壊れた鍵盤、凍った指先。翔は思い出のすべてを、音に変えて弾き込む。
客席のざわめきは次第に消え、息を呑む静寂が舞台を包む。
音はまるで二人の心の会話だ。怒りと依存、恐怖と愛情が混ざり合い、重く、切なく、しかし美しい旋律となって響く。
翔は譜面から目を離し、鍵盤だけを見つめた。
――昴はここにいない。だが、存在感は強く、指先に影を落とす。
彼の音が、体の奥で共鳴し、心臓の鼓動と同調する。
途中、翔の指先が一瞬止まる。胸が熱く、喉が詰まる。
観客の眼差しも、ステージの光も、何もかもが遠くなる。
ただ、昴の旋律だけが、二人を繋ぐ鎖のように絡みついている。
――これが、最後の演奏。
翔は涙をこらえ、痛みも孤独も音に変えて弾き続ける。
音は鋭くも柔らかく、重くも軽やかに、昴の存在を映し出す。
演奏の終盤、翔は全身で鍵盤を抱え込み、力の限りを叩き込む。
客席には静寂と感嘆の波が広がる。
誰も、音に込められた愛と痛みのすべてを理解できないだろう。だが、翔自身は確かに知っていた。
最後の和音が消えた瞬間、翔は深く息をつき、肩を震わせる。
ステージの照明が落ち、観客からの拍手が洪水のように押し寄せる。
だが、翔にとって重要なのは、その音ではなかった。
楽屋に戻った瞬間、全身から力が抜け、椅子に倒れ込む。
涙が頬を伝い、指先の震えが止まらない。
――愛と依存、痛みと喜びが、音と共にすべて吐き出された瞬間だった。
昴は舞台の裏から微かに微笑む。声はかけずとも、存在が翔を包む。
「……ありがとう」
翔の胸の奥で、無言の会話が交わされる。
深夜の静寂の中、二人の世界は音に溢れ、そして確かに分かたれた。
離れていても、旋律は二人の心を繋ぐ鎖のように、柔らかくも強く残っている。