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教室の窓際、三列目のいちばん後ろ。そこに遥はいた。姿勢はまっすぐだが、視線だけが低い。手元に置かれた、使い古しのペンケースの縁を、親指の爪でこすっている。小さな摩擦音が、授業の空白に、こっそり染みていく。


教師の声が、意味のない呪文のように響いている。

誰も、遥を見ていない。遥も、誰の目も見ない。


隣の席では、男子がノートに何か殴り書きしていた。が、遥のノートには文字はなかった。ペンの先が乗ったまま、動かない。けれど書こうとするふりだけはする。字が見えなければ、教師も気づかないから。


ノートの端に、薄く黒いシミがある。消しゴムのかすではない。滲んだインクのように見えて、けれど実際は――わからない。何度か爪で削ってみたが、消えなかった。


いつからそこにあるのか、自分でも思い出せなかった。





放課後、窓を開けた。校庭には、部活の声が響いていた。

けれど遥はそれを、遠くの工事音のように聞いていた。関係のない騒音。ただの他人の声。

風が少しだけ、シャツの襟を揺らした。


鞄を持ち、教室を出ようとした瞬間――誰かの足音が、廊下から近づいてくる気配。

遥の手が一瞬止まった。息が浅くなる。

だが扉は開かなかった。ただ、通り過ぎただけだ。


誰でもよかった。けれど、誰でもなかった。

「来ないで」と、「来てくれ」のあいだで、遥の胸はよくわからないまま苦しくなった。





帰宅途中、川沿いの道を歩く。

影が長く伸びる時間帯。ふと立ち止まり、水面を覗き込む。自分の顔が映る。けれど何も感じない。そこに何が映っていても、どうでもよかった。


遥は、その場にしゃがみ込んだ。手を水面に伸ばしはしなかった。ただ、膝を抱えて座った。

通行人がいたかもしれないが、気にならなかった。


何かを考えていた、わけではない。

ただ、何も考えない時間が、ほんの少しだけ欲しかった。


そして、ほんの少しも、救いにならなかった。



無名の灯 番外編

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