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蓮司はまだ、遥の身体から手を離していなかった。
というより、遥が動かないからだ。
顔を伏せたまま、呼吸すらわずかにしか感じられない。
肩にかかる髪の先が、濡れて重たく、汗か涙か、あるいはそのどちらでもない何かが混じっている。
「……ねえ」
蓮司が、囁くように問いかける。
「まだ、ちゃんと、聞こえてる?」
遥は頷かない。拒まない。
ただ、微かに肩が震えていた。怒りでも悲しみでもない。冷えた風が通り抜けたような、それだけだった。
沈黙の中、蓮司は自分の指が、遥の腕に痣を作ったことに気づく。
脆いものに刻まれた痕跡。
爪の跡も、押しつけた跡も、全部消えずに残るだろう。
それでも彼は、何の謝罪もしない。
後悔もしない。
ただ、遥の髪に頬を預けた。
「……やっぱり、綺麗だね。壊れてても」
遥は呼吸を一つ、長く吐いた。
諦めきったような音だった。
「……なんで」
かすれる声。喉が枯れて、もう言葉にならない。
「なんで、おまえは……そうやって、」
「……“俺だけ”を、見てるみたいな顔、するんだよ……」
蓮司は少しだけ、笑った。
「だって、本当に……おまえしか見てないからさ」
冷たく張りついた汗が、二人の肌を接着剤のように繋げていた。
けれど、どこか遠く、別々の場所に立っているような距離感だった。
遥はようやく、蓮司の腕を押しのける。
弱々しく、逃げるでもなく、ただ拒絶するような力で。
「……もう、やめろ」
そう言って、壁際に背を預けた。裸の背中が冷えた空気に触れ、小さく震える。
蓮司は動かず、床に座り込んだまま遥を見つめている。
その眼差しは、憐れみでも、悦びでも、懺悔でもなかった。
ただ「満足」と呼ぶには、あまりにも空虚で、透きとおっていた。
「……また来るよ」
蓮司のその一言に、遥は何も返さない。
返せないのか、返したくないのか、わからなかった。
扉が閉まる音がして、部屋に静寂が戻る。
遥は膝を抱えて、しばらく動かなかった。
ただ、ゆっくりと、肌の上に残る熱が冷えていくのを待っていた。
そのとき、泣いていたのかどうか、自分でもわからなかった。