第8話:初めての失敗
夕方、校舎裏の芝生に小さな影がひとつ。
天野ミオは、制服のまま体育館脇に座り込んでいた。
髪をひとつ結びにしていたゴムは外れ、前髪が顔を半分隠している。
スマホの画面には、赤いエラー表示
《発動失敗》
条件:目を見て、10秒間話す
状況:視線不足/言葉が成立しなかったため、未発動
使おうとしたのは、《一目惚れの再定義》。
ミオが最初に引き当てた“ウルトラレア”カードだ。
相手は、教室でいつも笑顔で挨拶をくれる男子・早川ケイト。
前髪を斜めに流し、シャツのボタンをきちんと留めた誠実そうな印象。
誰にでも優しく、女子の間では“恋レア好感度ランキング”で上位にいる存在だった。
ミオは決めていた。「今日、カードを使って、気持ちを伝えてみよう」と。
廊下ですれ違った瞬間、心臓が跳ねた。
《発動条件:目を見て、本心を口にする》──その条件は、手が震えるほど難しかった。
「……あの……す……すき……じゃ……ないかも……」
視線は床。声はかすれ、言葉は途中で崩れた。
そのまま、早川は笑って「ごめん、聞こえなかった」と通り過ぎていった。
ミオはその場で崩れ落ちた。
カードは、反応しなかった。
現実は、“演出”してくれなかった。
ただの失敗。それだけだった。
──恋レア社会では、告白はカードによって補強される。
でも、失敗した恋は、何も記録されない。
SNSにもログは残らず、ただ“使ったことだけ”がアプリに記録された。
使用者:天野ミオ
使用カード:《一目惚れの再定義》
成功率:0%(1/1回失敗)
数字だけが、感情の痕跡を刻んでいた。
そのとき、足音が聞こえた。
「カード、失敗したか」
大山トキヤが現れた。
制服のジャケットを脱いで肩にかけ、風で少し乱れた髪が目にかかっていた。
ミオは答えられず、俯いたまま小さく頷く。
「カードに頼ったって、上手くいかないときもある。……でも、今の“怖さ”は、演出じゃなかっただろ?」
そう言って、彼は自分のスマホを見せた。
使用カード:なし
使用者:大山トキヤ
成功率:N/A
「俺は、ずっと使ってない。怖いし、失敗しても記録にすらならない。でも……自分でやったって、言えるからな」
ミオは静かに目を上げた。
カードは、便利だ。
でも、心を伝えるのは、難しい。
失敗した今、初めてそれが“自分の気持ちだった”とわかった。
そして彼女の心の中で、恋レアと“自分の声”の間に、わずかな距離が生まれた。