テラーノベル
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夜の家は、やけに静かだった。
時計の針の音が、壁の奥から響く。
リビングの灯りは落とされ、怜央菜の部屋の扉だけがわずかに開いていた。
「遥、ちょっと来て」
その声に、遥は足を止めた。
身体が勝手に反応してしまう。呼ばれれば、行かなければならないという“条件反射”のように。
部屋に入ると、怜央菜はテーブルに肘をつきながら微笑んでいた。
その背後の壁には、整然と並んだ本と額装された絵。どれも完璧な配置で、隙がない。
「学校で、日下部と話してたでしょ?」
「……うん」
「怒ってた?」
遥は小さく頷いた。
怜央菜は軽く息をつく。
「やっぱり。放課後、見てたの。あなたたち、教室で言い合ってたでしょ」
遥の喉が詰まる。何か言おうとしても声が出ない。
「……ねぇ、遥。あいつ、泣いてたよ」
怜央菜の言葉は、まるで針のように静かに落ちた。
「あなたのせいで」
遥の胸が締めつけられる。
心臓が痛い。
目の奥に熱が込み上げる。
「“壊れるのは俺の方だ”って、言ってた」
「……やめろ」
「どうして? あなたも聞く権利あるでしょ? 自分がどれだけ人を壊してるか」
怜央菜は立ち上がり、ゆっくりと近づく。
その瞳は微笑んでいるのに、声は氷のように冷たい。
「あなたが優しくしようとするほど、誰かが苦しむ。……それがあなたの“優しさ”の形」
「違う、俺は……」
「違わないわ」
怜央菜の手が遥の頬に触れる。指先は冷たく、痛みを感じるほど硬い。
「日下部を守りたいんでしょ? だったら、ちゃんと苦しみなさい。罪を抱えたまま、笑うな」
その瞬間、部屋のドアが開いた。
晃司が立っていた。
無言で、ただ怜央菜と遥の間を見つめる。
その背後から、颯馬が覗き込んでいた。
「……また始まったの?」
怜央菜は振り返らず、静かに言った。
「放っておいて。教育の時間だから」
颯馬は笑った。
「へぇ、相変わらずだね。遥、また泣いてんの?」
その言葉に、遥は思わず身体を縮めた。
晃司が無表情のまま歩み寄り、テーブルの端を指で叩いた。
「怜央菜、もういいだろ。こいつ、わかってるよ」
「いいえ、まだ。中途半端に守ろうとするから、また同じことを繰り返すの」
怜央菜の声には、怒気ではなく確信があった。
それが余計に恐ろしい。
颯馬が笑いながら近づく。
「罪の教育ってやつ? いいね。俺、そういうの好きだよ」
「颯馬、黙って」
「だってさ、見てみなよ。顔、完全に壊れかけてんじゃん。……最高」
怜央菜はため息をつくと、椅子に腰を下ろした。
「晃司、止めてあげて」
その一言で、晃司の手が動いた。
何も言わず、ただ遥の肩を強く掴む。
その力があまりに強く、遥の体がわずかに浮いた。
「やめて」
かすれた声が漏れた。
だが晃司は表情を変えない。
その無感情さが、痛みよりも恐ろしかった。
怜央菜はその光景を静かに見つめながら、柔らかく微笑んだ。
「ねぇ遥。覚えておいて。痛みは罰じゃないの。……制御よ」
晃司が手を離す。
その瞬間、遥は床に崩れ落ちた。
視界の端で、颯馬が笑っていた。
怜央菜だけが、静かに言葉を落とす。
「あなたが日下部を守りたいなら、彼の前では“何も感じないふり”をしなさい。
痛みも、悲しみも、全部、ここに置いていきなさい」
その夜、遥は自室に戻っても息が浅かった。
怜央菜の言葉が脳裏で何度も再生される。
“彼を守りたいなら、壊れろ”
その意味を理解できないまま、ただ涙がこぼれた。
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