慌てて乗り込んだエレベーターが、どんどん上へと上がっていく。二人っきりのエレベーターの中。さっきの出来事のせいか、ちょっと空気が重い感じがした。
…… 苦手な人だったのかな。
それとも、何かすごく嫌な事があった相手なのか。
さっきの『お気に入りだった君』って言葉もすごく気になる。
『君』って、流れ的にも『私』の事で合ってるんだよね?きっと。
って事は、あの人と私が昔何かあったって事?
知り合いにすらならずに人生が終わりそうなタイプの人だったのに、いったい彼と私の間で何があったんだろう?
司さんに訊きたいけど、答えてはもらえないような気もするし…… どうしよう?
悶々とそんな事を考えているうちに、「——着いたよ、ここで降りるから」と言う司さんの言葉と同時に、エレベーターのドアが開く。知らぬ間に司さんは私の腕を離していたみたいで、先に降り、ドアが閉まってしまわぬ様にと押さえてくれた。
「あ、すみませんっ」
私はそう言うと、慌ててエレベーターから降りた。
「さてと。そこの椅子に座って、ちょっと目を瞑ってもらえるか?」
閉じるエレベーターのドアの前。近くに置かれた高級そうな椅子を指差し、司さんがちょっと楽しそうな顔で言ってきた。
(よかった、さっきの短時間の間に機嫌直ったんだ。…… って事は、それ程酷い関係の相手ってわけでもないのかな?うーん、わかんない)
「ほら、早く座って。目瞑って」
座りはしたが、考え事をしていたせいでまだ目を瞑っていない私を司さんがせっつく。
「そうでした、すみませんっ」
私はギュッと目を閉じると、「これでいいですか?」と司さんに訊いた。
「いいって言うまで、そのまま目を閉じていて。出来そうにないなら…… 目隠しでもしようか?」
「い、いえ!流石にそこまでは。大丈夫です、開けませんっ」
「よし、このまま少しここで待っていてもらえるか?——すぐに戻る」
絨毯のせいで足音も無く、司さんの気配だけが消えていく。『どうしたんだろう?』と気にはなるが、目を開けてしまう気にはならなかった。忠犬気質が私をそうさせた。
——そのまま待つ事数分。真面目に、ハチ公の様にきちんと待っていた私の傍に司さんが戻って来て、声を掛けてくれた。
「待たせてすまなかった。じゃあこのまま歩くけど、目は開けないこと。段差は無いから安心していい」
司さんは私の右手を取り、立ち上がらせると、ゆっくり歩き始める。
「は、はい」と言いはしたが、正直怖い。ただでさえあちこちぶつかったり転んだりだとか普通にやってしまう私なのに、目を閉じたまま歩くだなんて、すごく緊張してしまう。そのせいで、ちょっと手が震えてきた。
「すまない、怖いよな。でももう少しだから」
気遣うような彼の声に少し気持ちが落ち着き、私はコクッと頷く。
「大丈夫です、司さんが居るし」
「ありがとう、嬉しいよ」
目を瞑っていて顔は見えないが、そう言う司さんの声は本当にとても嬉しそうな色を持っていた。
「さぁ、いいよ」
司さんの声を合図に、ゆっくり瞼を開く。
「…… うわぁ…… 」
目の前に広がった光景に驚き、動きが止まる。
「綺麗だろう?」
さっきまでは私服だったはずの司さんがグレーのスーツ姿で私の隣に立ち、周囲を見る様にと促す。促されるまま見渡し、私は感嘆の息をついた。
美しい白亜のマリア像が天に向かい祈りを捧げ、ステンドグラスで描かれた天使達が彼女へ祝福を与えている。私達の立つ周囲には深赤の薔薇の花弁が散らばり、心地よい香りを放っていた。
「…… ホント、綺麗なチャペルですね」
「来た事は、あったか?」
司さんが心配声で訊いてきた。
「無いです!こんな…… こんな綺麗な場所自体、一度も…… 」
日常生活を普通に送っていては来る事もないし、周りの友人達はまだ学生である記憶しかない私には、こんな神聖な空間に来る機会など今まで一度もなかった。チャペルなんて、結婚に憧れる友人達と冗談半分で買った結婚情報誌の中の写真と、ドラマのワンシーンでちょっと見たくらいだ。
ふと上を見上げると、天井には薄い配色を心がけて作られたステンドグラスが。
「すごい…… 天井から、日の光が優しく降り注いでるみたいに見える」
そのステンドグラス越しに降り注ぐ光が、赤いバージンロードの上でキラキラと光輝いて見える。天然の光を利用した素晴らしい演出だ。
「ここのデザインをする為に、有名なチャペルはほとんど見て回ったそうだよ。付き合わされた奴の妹の方としては、とんだ災難だったろうな」
「司さんは、ここをデザインした方とお知り合いなんですか?」
「知り合い…… まぁ、そんな感じだね」
「すごいなぁ、顔が広いんですね。この服もそうだけど、こんな綺麗なチャペルを見学させてもらえるなんて」
「見学じゃない、貸切だ」
「…… ⁈こ、こんな高そうなチャペル…… あっ!まさか、またここもタダで借りたんじゃ!?」
「…… 」
司さんが急に口を噤んだ。視線も合わせようとしないし、これは絶対に図星だ…… 。
「き、記念日の話をしたら『使え』って向こうから言ってきたんだ!——祝いの品、みたいなもんだよっ」
「…… 記念日?」
不思議そうに訊く私に向かい、司さんが気まずそうな顔で額を押さえ、「…… あー、やっちまった…… 」と呟いた。
「何でもないよ、何でも——」
珍しく必死な表情で誤魔化そうとする司さんだけど、余計に気になる。
「何の記念日なんです?いったい」
ずいっと私が詰め寄ると、その度に司さんは逃げる様に一歩ずつ後ろに下がる。
「い、『今の唯』には話してもピンとこない話だから。——な?」
「それでも気になるじゃないですかっ。そんな言葉聞いちゃったら」
「そうだけど、でも…… なぁ」
「言って下さい。記憶はなくても私は貴方の、司さんの『妻』なんでしょう?秘密なんか嫌です」
記憶に無い話をされても困るだろうという、彼なりの気遣いなのは解るが、何も分からないままでいる方が私は嫌だ。たとえ記憶が無くても、二人の間に築きあげられてきた関係は司さんの中から消える事はないのだから、きちんと『今の私』にもそれを教えて欲しい。
——その結果、私が『私』に嫉妬心を抱く事になったとしても、それでもやっぱり私は、事実を知りたかった。
「…… 唯と再会した日だったんだよ、今日は」
「さい…… かい?」
(って事は、私達一度別れたり、離れた時期があったって事だよね?)
「もうきっと会えないなと思ってたのに、偶然再会出来てね。嬉しくて、ずっと、いつか同じ日にその気持ちを形に出来ないかって考えていたんだ」
「…… それで、此処を?」
「あぁ。このホテルの、前のオーナー夫婦の出会いのエピソードとかにえらく熱が入るくらいだから、このホテルのチャペルなら唯も喜ぶんじゃないかなって思ったんだ」
(確かに、このホテルを作った夫婦の出会いのエピソードに憧れ、『大学を卒業したら絶対このホテルに就職してやるんだ』って息巻いてる私だけど……ここが好きな事、司さんには話していたんだ)
「見慣れた場所で悪いかなとも思ったんだけどな。『貸切で使え』って言われたら、断る理由も無いだろ」
「——ん?なんでここが、私の『見慣れた場所』…… なんですか?」
「唯は此処で働いてたからな」
その言葉を聞くなり私は、「——えぇ!?」と、驚きと嬉しさが混じる声で叫んだ。
(よ、よくやった私ぃ!夢をちゃんと叶えていたのねっ。努力家じゃない!競争率の高い就職先に、なんて幸運!)
記憶には無いけど、働いていた事実があったって事が嬉しくって、嬉しさにガッツポーズをとってしまった。
「ははは。今の唯をアイツに見せたくなるな、きっと喜ぶよ」
「アイツ?」
「あぁ。ホテルの入り口で待ち伏せしていた金髪の奴だ。ここのチャペルを作ったのも、アイツだよ。もっとも、新しく改築した奴と言うのが正解だろうけどって——そんな話をしたくて此処に来た訳じゃないのに、何で俺は、アイツの話しばっかしてるんだ…… 」
司さんは言葉の途中で段々と声が小さくなり、額を押さえながら私から視線を反らした。
「司さんは、その人の事好きなんですね」
「は…… ?好き!?——違う!振り回されてばっかで、いっつも俺達は奴の玩具状態で!…… あー…… でもまぁ、悪い奴じゃないし、楽しくは…… あるけど。えっと、アイツとは学生の頃からの付き合いで、古い友人なんだ。で、ここの現オーナーでもある。だから…… 」
最初は嫌そうな顔をしていた司さんの表情が、段々と困り顔になっていった。
「——って、今はアイツの話をしたいんじゃない!」
そう大きな声で言いながら、『その話はこっちへ置いといて』とでも言いたいのか、司さんが箱みたいな物を右から左に移動させるような仕草をした。
見た事のない表情や、声と行動に、ちょっと嬉しくなってきた。学生時代の彼はこんな感じだったのかな?と少し感じられたから。
「司さんって、そんな顔もするんですね」
「そんな顔って…… 変な顔でもしてるのか?」
私に尋ねながら、眉間にシワをよせる。
「いえ、見る事が出来て幸せな気持ちになる表情をしていますよ。学生の時こんな風だったのかなーとか、友達の前ではこんな感じなのかな?とか。色々想像が膨らんじゃいます」
「あぁ、それはちょっと解る。俺も、この一週間唯と過ごしている時、『学生時代の唯と交際していたらこんなふうだったのかな』と思ってたから」
「ヤダッ、そんな事思ってたんですか?」
「あぁ。嬉しかったよ、唯の過去も手に入ったみたいで」
「司さん…… 」
記憶の無い事をそう思ってくれていた事を知り、私はとても嬉しい気持ちになった。
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