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放課後。
教室の窓から射し込む光が、床を斜めに切っていた。
部活の掛け声が遠くに聞こえる。
それだけで、この空間の静けさがいっそう際立つ。
遥は自分の席で、ノートを閉じた。
誰もいない。
鞄を持ち上げようとしたとき、後ろのドアが開いた。
「よぉ」
声を聞くだけで、背筋が強張る。
振り向かなくてもわかる。蓮司だ。
「残ってたんだな」
何気ない調子だった。
それがいちばん、遥の心を冷やす。
「……帰るとこ」
「そうか」
机の横を通り過ぎる気配。蓮司がわざと歩みを緩める。
足音が止まる。
「なぁ、あれからどうだ?」
その“あれ”が何を指すか、言われなくても分かる。
遥は答えない。
「日下部、静かになったな。お前も少し楽になったんじゃねぇの?」
その言い方は、笑いと無関心の中間にあった。
遥はノートを鞄に押し込み、言った。
「……俺、もう関わらないって決めた」
「決めたって、何を?」
「全部」
「へぇ」
蓮司はその一言のあと、静かに笑った。
何も足さず、何も引かない笑い。
けれどその静けさの中で、空気の温度が変わる。
「お前、そういうとこ、変わんねぇよな」
「……」
「止めるでもなく、逃げるでもなく。結局、自分の場所に戻ってくる」
蓮司が歩み寄る。
距離が近づくたびに、遥は息の仕方を忘れていく。
手の中で、鞄の紐が軋んだ。
「別にいいけどさ。俺は、お前がいないと面白くねぇんだ」
笑いながら、蓮司は机の縁に指を置く。
その指が軽く叩くたび、何かが再び始まる音のように響いた。
「明日も来いよ。……みんな待ってる」
声は穏やかだった。
それだけに、遥の喉が固まる。
何かを言おうとしても、言葉が出なかった。
蓮司は動かない遥を見下ろし、唇の端をゆるめた。
「大丈夫だよ。これからも同じだ。お前が何もしなきゃ、誰も怒らねぇ」
その言葉を残して、蓮司はドアへ向かう。
開かれた扉から、夕陽が流れ込む。
光に背を向けたまま、彼は片手を軽く上げて言った。
「また明日な」
閉まる音。
教室の空気が、急に重くなる。
机の上に伸びた影が、ゆっくりと遥の手を呑みこんだ。