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第十三章 繋がる願い
第十話 握られた手
木漏れ日がきらきらと揺れていた。
柔らかな風が草を揺らし、青い空がどこまでも広がっている。
ジントは息を切らしながら必死に走っていた。
けれど高く茂った草に足を取られ、思うように前へ進めない。
「……待ってよっ! ダイチ……!」
前を走る群青色の頭が、どんどん遠ざかっていく。
慌てて踏み出した足が、ズルッと横へ滑った。
「わっーー!」
次の瞬間、身体が急な斜面を滑り落ちていく。
土と草が視界を埋める。
怖くなってジントは思わず目を強く閉じた。
「ダイチ……!!」
叫んだ瞬間だった。
ガシッ!!
強く手を掴まれる。
「ジント!!」
焦った声。
目を開けると、そこには必死な顔のダイチがいた。
懸命に腕を引っ張り、ジントを上へ引き上げようとしている。
「掴まっとれ!!」
「う、うん……!」
二人は必死によじ登り、ようやく斜面の上へ辿り着いた。
「はぁ……っ、はぁ……」
その場へ座り込み、顔を見合わせる。
次の瞬間、どちらからともなく吹き出すように笑った。
「ジント、ドジすぎやろ!」
「だ、だって……!
ダイチがどんどん先に行っちゃうんだもん!」
「あははっ!ごめんって!」
笑い声が、夏の風へ溶けていく。
——そうか。
これは、子供の頃の記憶だ。
いつもダイチが助けてくれた。
いつも傍にいてくれた。
ダイチ……。
会いたいな……。
ぼんやりした意識の中で、そんなことを考える。
だが次第に蘇る、身体中へ走る痛み。
息が苦しい。
胸が重い。
「……っ、はぁ……!」
浅く息を吸い込み、ゆっくり瞼を開ける。
ぼやけた視界。
そこに映ったのは——
群青色の髪。
青い瞳。
(……まだ、夢を見てるのか……?)
ぼんやりそう思った時。
「……ジント……!」
名前を呼ばれる。
掠れて、震える声。
でもいつも隣で聞いていた、大好きな声。
「……ダ…イチ……?」
「そうや……!」
「俺や……!」
ダイチの目から、再び涙が溢れる。
「ジント……」
「無事で……ほんまによかった……」
熱い涙が、ジントの頬へ落ちる。
ジントはぼんやりした視界の中で、その顔を見つめた。
泣いている。
ダイチが。
自分のために。
震える手をゆっくり持ち上げる。
力なんてほとんど残っていない。
それでも、そっと、ダイチの涙へ触れた。
「……あり……がと……」
弱々しい声。
ダイチはその手を、壊れ物みたいに包み込む。
「……俺」
声が震える。
「守るって言ったのに……」
「こんな……ごめん……」
言葉が詰まる。
悔しかった。
怖かった。
もし間に合わなかったら。
もしもう二度と会えなかったら。
考えるだけで、胸が潰れそうだった。
なのに。
「……ダイチ」
「大丈夫……だから……」
ジントが小さく微笑んだ。
ダイチの胸が締め付けられる。
違う。
大丈夫じゃない。
こんなに傷付いて。
こんなに怖い思いをして。
それでも、自分を安心させようとしている。
「……ほんま」
ダイチは俯く。
「お前は……優しすぎるんや……」
ジントの瞼がゆっくり閉じていく。
「……ダイチ……」
「来て……くれた……」
それだけ言って、ジントは静かな眠りへ落ちた。
ダイチはその手を握ったまま、しばらく動けなかった。
もう二度と、この手を離したくない。
そんな思いだけが、静かに胸の奥へ残っていた。
ーーー
しばらくの間、ダイチは何も言わずにジントの寝顔を見つめていた。
小さな寝息。
規則正しく上下する胸。
握った手から伝わる、確かな温もり。
それだけで、胸の奥に溜まっていた不安が少しずつ溶けていく。
けれど視線を落とせば、嫌でも目に入る。
赤く腫れた手首。
擦り傷。
泥に汚れたローブ。
そして傷だらけの素足。
——早くちゃんと手当てせな。
ダイチはそっとジントの手を布団へ戻した。
起こさないよう静かに立ち上がる。
小さく軋む床。
薄暗い部屋には、ランプの淡い光だけが揺れていた。
ダイチはもう一度だけ振り返る。
眠るジントは、どこか安心したような顔をしていた。
その表情を見て、胸が少し痛くなる。
「……」
ダイチは静かに扉を開け、部屋の外へ出た。
居間では、ツヨシとコウがテーブルを挟んで座っていた。
古びた木の机。
使い込まれた椅子。
酒瓶や薬草の束が雑多に置かれている。
狭い部屋なのに、不思議と温かさがあった。
扉の音に二人が顔を上げる。
「ジントは?」
ツヨシが低く聞いた。
「一回目ぇ覚ましたけど……また眠った」
ダイチは短く答える。
そしてゆっくり二人へ向き直った。
そのまま、深く頭を下げる。
「……ジントを助けてくれて」
「ほんまに……ありがとう……!」
その姿に、ツヨシとコウは思わず顔を見合わせた。
コウが慌てて立ち上がる。
「ちょ、兄ちゃん!」
「そんな頭下げなくても……!」
ダイチはゆっくり顔を上げた。
「でも……」
「ジントが無事だったのは、あんた達のおかげや」
その声には、心からの感謝が込められていた。
コウは少し照れたように笑う。
「……なら、良かった」
その言葉に、ダイチは優しく微笑んだ。
ツヨシはそんな二人を見ながら小さく息を吐いた。
「……早く連れて帰れ」
「ちゃんと手当てしてやれよ」
ぶっきらぼうな声。
けれど、そこにはもう警戒はなかった。
ダイチは頷く。
「……あぁ」
外では夜風が吹き、どこか遠くで人の笑い声や怒鳴り声が聞こえた。
貧民街の夜は表の街よりずっと騒がしい。
けれどこの小さな部屋だけは、妙に静かだった。
やがてダイチが口を開く。
「……ちょっと仲間呼んでくる」
そう言って外へ出た。
扉が閉まる。
ツヨシは椅子へ深く座り直し、煙草を咥えた。
「……嵐みてぇな奴らだな」
ぼそりと呟く。
コウがクスクス笑った。
「でもあの青い兄ちゃん、めっちゃ必死だったね」
「あぁ」
ツヨシは短く返す。
煙草へ火を付けようとした——その時。
パァンッ!!!
乾いた破裂音が夜空へ響いた。
窓の外、少し離れた場所で煙が立ち昇っている。
ツヨシが目を細める。
「……爆煙筒か」
「仲間への合図かな」
コウが窓から身を乗り出す。
ツヨシは煙を見つめながら、小さく息を吐いた。
あの黒髪の青年。
月蝕の子。
教会が血眼で探す存在。
”厄災”と呼ばれる存在。
なのに、あんなにも傷付いて、普通に泣いて、誰かを求めていた。
ツヨシはまだ上手く整理できずにいた。
やがて再び扉が開く。
戻ってきたダイチだった。
その後ろには、黒いローブを羽織った三つの影も見える。
「……じゃあ、ジント連れて行くから」
ダイチはそう言うと、再び奥の部屋へ入っていった。
少しして、眠るジントを抱き上げたまま、静かに戻ってくる。
まるで壊れ物を扱うみたいに、大事そうに。
ジントはダイチの胸へ頬を預け、静かな寝息を立てていた。
その姿を見て、ツヨシは何とも言えない気分になる。
そして無言で家の扉を開けた。
冷たい夜風が吹き込む。
ダイチは立ち止まり、一瞬だけツヨシを見る。
ツヨシは壁へ寄り掛かったまま、ぶっきらぼうに言った。
「……ちゃんと守ってやれよ」
ダイチは真っ直ぐその目を見る。
そして静かに頷いた。
「あぁ」
短い返事。
だがその声には、強い決意が宿っていた。
そしてダイチは背を向け、仲間達と共に夜の路地へ消えていく。
足音が遠ざかる。
やがて静寂が戻った。
ツヨシはふぅ〜っと大きく息を吐く。
「……変な奴らだったな」
苦笑混じりに呟いた。
夜の路地へ消えていった背中。
その姿が、なぜか妙に印象に残っていた。
「……また会うかもな」
誰に言うでもなく呟く。
月のない夜。
小さな灯りだけが残る部屋で、ツヨシは静かに扉を閉めた。
コメント
4件
想像通りでよかったーー😭😭!! いや、わかってたけど良かったー😭!
ああ、もうこの回……冒頭の子供時代の回想からぐっときましたね。「掴まっとれ!!」って叫ぶ子供のダイチと、それに応えるジント。あのシーンが今の重たい状況にじんわり重なって、胸が熱くなりました。そして目を覚ましたジントが「来てくれた」って安心して眠る表情……ダイチの「離したくない」っていう思いが、手に全部詰まってるようでした。ツヨシたちの不器用な優しさにもほっこり。良いお話でした🌷