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夜の街を抜け、静かな河沿いのベンチに座ったまま、遥は膝を抱えたまま視線を落としていた。先ほどの路地での日下部の存在は、まだ胸の奥でざわつきを残している。
自分を見捨てると思っていたのに、そこにいたことの違和感が、怒りでも悲しみでもない微かな痛みとして残る。
「……なんで、俺……」
つぶやいた言葉は、自己否定の繰り返し。だが、わずかに震えが混ざっていた。
“誰も信じられない”と思っていた心の壁に、わずかでも隙間ができたのを感じる。
遥はその感覚を必死に抑えようと、目を閉じる。
「……バカみたいに……」
独り言のようにこぼれた声に、少し苦笑も混ざった。
日下部は隣に座ったまま、距離を詰めたり触れたりはせず、静かに息を整えている。
動かず、喋らず、ただ存在する。それだけで、遥の胸の奥に小さな熱が広がる。
「……あいつ、ずっと、ここに……」
過去の裏切りや壊された時間が、ふとよぎる。蓮司の影、過去の嘘、身体を安売りした夜の記憶。
でもそのすべてを、今この人は拒まない。否定もしない。
「……でも……やっぱ、俺なんか……」
言葉が止まらない。心の奥で囁く自己否定。
“結局、誰も俺を必要としない”という思考と、“こいつは違うかもしれない”という違和感が、胸の中で交錯する。
揺れが怖くて、逃げたくなる。
だが、同時にその揺れに触れたくもある。
小さな風が河面を撫で、波紋を揺らすように、遥の心も微かに波立つ。
「……もしかしたら……」
思考が言葉になりかけて、止まる。
“もしかしたら、守られるかもしれない”
その考えに、体が小さく震えた。
日下部は何も言わない。ただ、同じ空気を吸っているだけ。
でも、遥の心の震えに呼応するように、そっと体を揺らす存在感がある。
「……わかんねえ……」
声は小さく、吐き出すように。
自分でもよくわからない気持ちが、胸を押しつぶす。
恐怖、期待、自己否定、孤独――そのすべてが渦巻く中で、ただ静かにそこにいる日下部の存在が、心の隙間に入り込んでくる。
目を開けると、夜の水面に街灯が映る。揺れる光は、まるで自分の揺れる心のようだ。
「……おまえ、なんで、ここにいるんだ」
問いというより、確認のような声。
日下部は小さく微笑むわけでもなく、ただ静かに視線を送る。
「ここにいる」
言葉はない。存在だけで十分だ、とでも言うように。
胸の奥で、ふと涙が滲む。
“信じてもいいのか?”という問いに、答えはまだない。
でも、わずかな揺れが確かにあった。
逃げ出したい自分と、少しだけ預けてみたい自分が、同時にそこにいる。
それは、過去の壊れた時間の中で生き延びてきた自分への小さな挑戦でもあった。
夜風が冷たい。手を伸ばせば届きそうな距離に日下部がいるのに、まだ触れられない。
だが、その距離感が遥の胸に、かすかな温もりを残した。
“少しだけ、ここにいてもいいのかもしれない”
思いがけない感覚に、胸が微かに熱くなる。
揺れる心を抱えたまま、遥は静かに夜を見つめた。