実は──、と、男が続きを語る。が、頷きながら、話を聞いている頼近の横では、宗孝が首をひねっていた。
「ちょっと、待ってくれ、どうしても、ついて行けぬ」
と、話の腰を折る。
「頼近よ、なぜ、お主は、雅楽寮の者と、この男の事を、言い切ったのだ?そして、なぜ、琵琶に、あそこまで、驚いたのだ?そこまで、分っているのなら、この者に、わざわざ話を聞くこともなかろうに」
「いや、まあ、そうかもしれぬが、やはり、本人から事情を聞かなければ……」
頼近は、言葉を濁す。
やはり、解せぬわと、宗孝は、混乱しきりのようで、独りごちた。
そんな、二人のやり取りを見てか、申し訳ございません、と、男は、深々と頭を下げた。
「ほら、宗孝のせいで、この者も、話し辛くなっているではないか」
頼近の責めに、宗孝は、そうか、と言い渋り、お前が、起こしたせいだとばかりに、男へ真実を語るよう言い寄った。
それでは、ますます、話しづらくなると、頼近は、笑っているが、男はというと、確かに縮み上がりながらも、恐る恐る口を開いて、話を続けていた。
──さる上位貴族の屋敷へ、雅楽寮の楽人達が演奏に招かれた時の事だという……。
かの摂政様を迎えての宴にて、ただの楽舞では事足りぬと、琵琶の演奏を加えるよう、あらかじめ、言いつかった。
それほど、大がかりな宴に、琵琶など、下手をすれば、滑稽に写ってしまうと、楽人達に、緊張が走った。
しかし、望まれたものは、仕方なし。演目に、琵琶の独奏を組み込むことにした。
しかし、楽舞で通常奏でるものには、琵琶の演奏など、含まれていない。
ゆえに、当日、うっかり、琵琶を忘れないよう、皆で、目を光らせ、準備をおこなったのだ。
そして、当日。
招かれた屋敷の前庭に作られた舞台では、滞りなく演奏が進んで行った。
しかし、脇に設けられている幕を張った控えの場内では、騒動が巻き起こっていた。
琵琶を奏でる、バチが、見当たらないのだ。
再度、荷物を調べたが、やはり、バチは、見つからず。
もしや、雅楽寮の詰所に忘れたのだろうかと、取りに戻る事も考えられた。
が、誰か一人抜けると、演奏に、準備に、差し支える。
仕方無く、皆は、引率してきた長に事情を話した。当然、叱責を受けた。何より、長、自身、困窮した。主宰者へ、どう、報告すべきか、はたまた、奏でられない琵琶の独奏を、その代わりを、どうするべきかと──。
主催側へ報告した長は、当然のことながら、相当な叱咤を受けた。
そして、とんでもない事を命じられたのだ。
長は、慌てて、幕内へ戻り、屋敷側の意向を皆へ告げた。
それは、呼ばれている白拍子の舞に合わせて、音を付けろというものだった。
もちろん、皆は、仰天する。
その様な、俗なものの為に、宮中に属する雅楽寮の楽人達が、なぜ演奏せねばならぬのか。
雅楽寮の恥になると、反対の声もあがったが、言いつけられた事は仕方なし。何しろ、こちらに非があるのだから……。
こうして、宮中の楽団が、男達の好奇の前で舞い、その身を委ねる、卑しい身分とされた白拍子の為に、その腕を振るったのだった。
この意表を突いた組み合わせに、同席していた公達達は、大喜びし、主賓である、かの方も、ご機嫌な様子であったという。
恥を忍び、堪えた事は、功を制したのだ。
「そして、私共は、雅楽寮の詰め所、楽所へ戻ったのです」
「まあ、無事に終わったのだから、良かったではないか」
呑気に頼近は答えたが、相変わらず、宗孝は、渋い顔を崩さない。
「……頼近よ。良かった、ならば、何も、琵琶を、楼閣から吊るさなくとも、よいのではないか?」
「ああ、確かに、そうだな。それは、どうゆうことだ?」
二人に睨まれ、男は、更に小さくなって、呟いた。
「片付けをしておりましたら……私の懐から……琵琶のバチが、転がり落ちたのです」
忘れたと、思われていた琵琶のバチは、男の懐に、入っていたのだ。
「何者かが、どさくさに紛れ、私の懐へ忍ばせたのです。そもそも、その様なものは、私の懐にはなかった……」
つまり、嫌がらせを受けた、と、男は言いたいらしい。
忘れたと、思ったものが、男の懐にあった。それはすなわち、男が、楽団へ嫌がらせを働いたと意味する。実際は、その、逆であるのにもかかわらず……。
「で、お前は、なぜそこで、琵琶を?」
それが解せぬと、宗孝は、首をひねった。
「その様な、嫌がらせを受けたのだ。今度は、琵琶に、何かされ、それも、自分のせいにされてしまう。そうなると、これは、お役を解かれる話になりえると、思ったからだろう?」
頼近の言葉に男は、観念したのか、静かに頷いた。
男は、気が動転し、とっさに、琵琶さえなければ、自らへ災いは降りかからないと思ったのだと、そうして、琵琶をこっそり持ち出して、この様な事をしてしまったのだと、全てを白状したのだった。