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「へっ……?」
突然の前方からの突風で、俺はバランスを崩した。
そして踏ん張ることも出来ず、そのまま訳も分からずに後ろへと倒れる。
起き上がるために肘をつこうとした寸前、頭上では『何か』が空を切る音がする。目線を上げれば、それは銀色に光る剣先だった。
「チィィィイイッ!!」
俺頭上から、いつの間にか追いついた道化師が、忌々しそうに舌打ちをする。剣が空振りしたそこは、丁度先程まで俺の首があった位置だった。
道化師は素早く剣の柄を持ち直すと、俺の喉元を目掛けて振り下ろす。
「わっ、ぶねぇ!!」
俺は慌てて、横へ転がっては回避する。その勢いで、片膝をついた状態で何とか起き上がることが出来た。道化師はというと、俺の首の代わりに地面に突き刺さった剣を引き抜くと、俺の方を睨みつける。
「あと少しでシタのニ……。運のいい方デスネ」
「そうだな。運は俺に味方をしてくれたみたいで、嬉しいな……!」
俺は念の為に、首元を触って確認する。大丈夫、まだ首は繋がってる。
冷や汗が頬を伝う。あの突風……。もし、あの突風がなくて、俺が倒れていなかったら……。俺の首と胴体は、今頃お別れしていたに違いない。
倒れたのは不幸中の幸い……、本当に運が良かった。
(しかしマズイな……)
道化師との距離は、僅か数メートル。ここまで距離を詰められてしまったら、武器も持っていない生身の俺では、抵抗しようが無い。
「なぁ。さっきのことは、マジで謝るからさ。ここは一つ、話し合いで解決……」
「無理、デスネ☆」
道化師からにこやかに即答され、俺は小声で「ですよね〜……」とすぐに諦める。
(せめて武器になるものでもあれば……!)
俺は道化師から一切目をそらさずに、そっと瓦礫へと手を伸ばして探る。ふと、何か丸みを帯びた細い棒のようなものが、手に当たる感触がした。
俺はチラッと目を向ける。そこには瓦礫に埋もれた、細い木の棒があった。
上に視線を向ければ、盾と二本の剣がクロスしている看板が下がっていた。
(……ってことは、ここは武器屋の前なのか? ……ならこの木の棒は、木刀か何かか?)
よく見れば、所々に壊れた盾や鎧が散乱している。これは先程まで、道化師がしらみ潰しに俺を探していた名残だろうか。
(この際だ、木刀でも何でもいい! 武器になるなら!!)
俺は木の棒を掴んで、勢いよく引き抜く。そして構え――――――!!
「……はへっ?」
……て、俺は思わず間抜けな声が出てしまう。
そして目の前の道化師はと言えば、こらえきれなかったとばかりに吹き出しては、腹を抱えて笑いだす。
「プフフッ♪ それは一体、なんのご冗談デスか?」
俺の掴んだ木の棒……、それは木刀などではなかった。
1メートル程の細く長い……パンやお菓子の生地を伸ばすために使う、一家に一本はあるような、あの調理器具の……。
俺は思わず、口に出して叫んでしまった。
(何で麺棒!? しかも何で、日本式の麺棒!?)
明らかに、この西洋風な街並みの、ファンタジーな世界には似つかわしくない。蕎麦やうどんなどを伸ばす際に、使うような。日本人には特に親しみのある、あのフォルムの麺棒だった。
俺は武器になると思って掴んだものが、まさか麺棒だなんて思いもしなかった。故に「西洋風な街並みなら、それなりの麺棒を使えよ!」などと、半ば現実逃避気味に、意味の分からないツッコミを入れてしまう始末だ。
(クソっ! 某親善大使な赤毛主人公だって、チュートリアルくらいまだまともな武器だったぞ!)
初めてプレイした時、最初の武器が木刀だったことに対して軽く怒ったことを後悔する。俺の最初の武器が、まさかの『麺棒』だ。アイツの方が断然まだマシじゃないか。
しかもこの世界で初めて掴んだはずなのに、そのフォルム故に、手にしっくりと馴染んでしまったのが、さらに悔しい。
「そんなモノで、一体どうやって戦うのデス〜?」
道化師はニヤニヤと、俺のこれからの動向を伺う。クソ、馬鹿にしやがって。
麺棒だって、職人が一生懸命作ってんだ! ……多分!
「馬鹿にしやがって……。麺棒でだって、抗ってやんよ!」
俺は麺棒を道化師に向けて、睨みつける。格好つけてはいるが、持っているのは麺棒だ。木刀じゃない、麺棒だ。大事なことなので何度でも言う、武器は麺棒だ。
「それは楽しみデス……ネ☆」
そう言って、道化師は地を蹴って急接近してくる。剣を持った腕を、大きく振りかぶる。剣の切っ先……、確実に狙うは――――――。
俺は直ぐに首を守るように麺棒を縦にし、棒を両手で中間あたりを持って受け止める。一撃が重い。
「……っ!」
その威力と衝撃で、踏ん張りきれなかった俺の体は、簡単に吹き飛ばされた。俺の体は水切りのように、地面を軽く数回跳ねて転がる。思わず痛みで咳き込みながらも、慌てて上半身を起こし、自身の首や麺棒を確認する。
まぁ、なんということでしょう。俺の首はおろか、麺棒には一切の傷がついていなかった!
感動のあまり、つい本音で叫んでしまう。
咄嗟に掴んだ麺棒だったが、これは当たりだった。麺棒だと馬鹿にして悪かった! お前は最高の麺棒だ!!
俺が麺棒に対しての評価を、音速手のひら返ししている一方、道化師は忌々しそうに再び舌打ちをしている。よし、これなら少しは身を守れる!
「棒だけにな!」と、妹にならってドヤ顔気味に麺棒を道化師へと向ける。一方、道化師は剣を一振して、俺を睨みつける。
「本当に……腹が立つ程、運のいい方デス……ネ!」
そう言って、道化師は距離を詰めて剣を振る。俺は何とか剣筋を目で追っては、次の攻撃を見極めて予想する。……とは言っても、ゲームや体育などで培ってきた動体視力と反射神経で、ギリギリ首や急所を麺棒でガードしていると言ったところだ。
一瞬の瞬きも許されない。それが命取りになるということが、分かっているからだ。
剣先が服をかする。強化してるとは言っても、所詮はただの洋服。切りつけられる度に、少しずつ裂け、破れた所から腕に痛みが走り、切り傷が出来る。
「フンッ!」
剣にばかり気を取られていれば、横っ腹に道化師からの蹴りを一発、まともに食らってしまった。
「ぐっ……、かはっ!!」
俺の体は、数メートル吹き飛ばされる。
「……っ、オエッ!」
遅れてやってきた腹の痛みで、胃から逆流してきた汚物を、その場に吐き出す。
道化師はそんな無様な俺の姿を見て気分を良くしたのか、ニヤニヤと笑いながらゆっくりと近づいてくる。
「フフフッ、とてもいい眺めですネ☆」
胃がカラになるほど吐き出した俺は、咳き込みながら道化師を見る。
(クッソ……、体力的にそろそろ本気でヤベーな……)
若干霞み始めた視界を、頭を振っては、眉間に皺を寄せて睨むように力を入れる。麺棒を支えに、ふらつく体に鞭打って立たせる。
「アナタも、そろそろ限界でショウ? 先程ワタシに啖呵を切ってましたが……それももう、時間切れでショウ? 結局アナタは、ワタシを倒すことなどできなかった。哀れで惨めな姿を晒すのは、もうお辞めなサイ」
そして剣先を、俺に向ける。
「だから大人しくその首を差し出し、楽におなりなサイ♪」
道化師は清々しいほどの笑顔で、俺にそう言う。絞められたり、切られたり。蹴られて、ふっ飛ばされたりで、苦痛に歪んでは軋む体。本当、正直に言えば、今すぐ楽になりたい。
今の俺にとって、道化師の言葉はまるで悪魔の囁きと言うよりも、救いの言葉のように思えてくる。
(死ねば、すぐに楽になれる……)
「それもそうだな……。ココで無駄に足掻いて、もがき苦しむより……。サクッと首をはねれば、楽になれるんだろうな……」
「そうデスよ☆ さァ、優しいワタシが一思いにアナタの首をはねて差しあげま……」
「だが断る!!」
「……!?」
俺は道化師の言葉を遮って叫ぶ。
「俺はなぁ! さっきも思ったが! すんげー、諦めが悪いヤツなんだよ!!」
そして麺棒を左手で持っては後方に引き、棒の先端付近を右手で支えるように構える。重心はやや、後方へと落とす。
小さい頃、何度も練習したあの技……。久々だが、体は覚えている。
「まだ惨めったらしく、足掻くつもりデスカ!」
俺の構えに警戒した道化師が、剣を構える。
(じいちゃんには『絶対に人に向けて使うな』と、キツく言われてたが……。コレは自己防衛だ!)
俺は深く息を吸い込んで、グッと止める。麺棒を持つ手に力を込め、あのセリフと共に勢いよく前方へと突き出す!
昔読んだ明治時代を舞台の、流浪人が主人公の某漫画。その登場人物の一人が使っていたこの技を極めたくて、段位を持ってたじいちゃんに軽く剣道を指導してもらってた。
まぁ、この不純な動機を知られた時は、流石にこってりと叱られたが。
「ぐっ……!」
俺の渾身の突きの攻撃は、道化師の右肩に直撃した。本当は腕を狙いたかったが……素人の攻撃にしては、当たっただけマシ!
道化師は苦痛に顔を歪めるが、怒りの宿った瞳で落としかけた剣を左手に持ち替える。その際に俺の右腕を軽く切りつけ、すぐに首を狙って剣を振る。
「……っ!!」
「死ネェェエェエエエエ!!」