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#恋愛
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The Desire That Bites
逃げ場は、なかった。
世界そのものが、彼らを拒絶している。
空は濁り、地は軋み、
欲望の残滓が風のように渦巻いている。
カルディアは、走っていた。
いや――正確には、“離れようとしていた”。
リエルから。
だが。
手は、まだ繋がれている。
「……離せ」
低く、押し殺した声。
リエルは首を傾げた。
「やだ」
即答だった。
「……なぜ」
「だって」
彼女は、彼の手を握り直す。
「離したら、あなた壊れるでしょ?」
その言葉に。
カルディアの思考が、一瞬だけ止まる。
(……壊れる?)
「……意味がわからない」
「わかってるくせに」
リエルは、少しだけ笑った。
「さっきからずっと、“抑えてる”」
その通りだった。
胸の奥で暴れる衝動。
それは、もはや“空腹”ではない。
もっと鋭く、もっと直接的な――
欲しい。
それだけの単純で、どうしようもない感情。
「……黙れ」
「黙らない」
リエルは、カルディアの前に回り込む。
逃げ場を塞ぐように。
「ねえ」
彼女の瞳が、真っ直ぐに射抜く。
「なんで、噛まないの?」
その言葉は。
あまりにも、自然だった。
だが。
カルディアの中で――
“何か”が弾けた。
ドクンッ――!!
「……っ、やめろ……」
息が乱れる。
視界が歪む。
リエルの首筋。
白い肌。
そこを流れる“何か”。
血ではない。
だが――
それに近い。
もっと濃く、もっと甘いもの。
欲望そのもの。
「……噛めばいいよ」
リエルは、一歩近づく。
逃げるどころか。
自分から差し出すように。
「……俺は……」
カルディアの声が震える。
「回収者だ……」
「そうだったね」
「……欲望は、喰うものだ……」
「うん」
「……対象に触れるのは、規定違反だ」
リエルは、くすりと笑う。
「でも今は、違うでしょ?」
沈黙。
その一瞬が――
致命的だった。
カルディアの理性が、遅れる。
衝動が、それを追い越す。
気づいたときには。
彼は――
リエルを押し倒していた。
「……あ」
リエルが、小さく声を漏らす。
だが、恐怖はない。
むしろ。
期待に似た、熱を帯びている。
「……やめろ……」
言葉とは裏腹に。
手は、彼女を離さない。
「……やめたいの?」
その問いに。
カルディアは――
答えられなかった。
視線が、首元に落ちる。
鼓動が、聞こえる気がする。
実際にはないはずなのに。
(……欲しい)
それが、すべてだった。
「……来るよ」
リエルが、囁く。
次の瞬間。
空間が、裂けた。
白い光。
ゼノス。
「――捕捉完了」
冷たい声が、空間を凍らせる。
「対象カルディア、逸脱率臨界」
「即時排除を実行」
光が、槍のように収束する。
カルディアは、動かない。
動けない。
リエルを押さえつけたまま。
視線も、外せない。
「……邪魔するな」
それは。
明確な“敵意”だった。
ゼノスが、わずかに沈黙する。
「……確認」
「対象カルディア、完全逸脱」
光が、放たれる。
その瞬間――
カルディアは、動いた。
リエルを抱き寄せ。
そのまま、地面を蹴る。
爆音。
白と黒が、衝突する。
欲望の残滓が、爆発的に広がる。
カルディアの背に、黒い影が現れる。
それは、翼のようだった。
かつて存在しなかったもの。
「……なんだ……これ……」
自身でも理解できない。
だが、その力は――
ゼノスの光を、押し返した。
「……異常進化、確認」
ゼノスの声が、わずかに低くなる。
「危険度、再評価」
「……消えろ」
カルディアの声は、もはや別のものだった。
衝動と、欲望と、怒りが混ざった音。
ゼノスは、再び光を収束させる。
だが――
その瞬間。
リエルが、カルディアの腕を掴んだ。
「もういい」
「……何?」
「ここで戦ったら、壊れる」
「……構わない」
「私は構う」
その言葉で。
カルディアの動きが、一瞬止まる。
「……行こう」
リエルは、彼の手を引いた。
次の瞬間。
空間が歪む。
今度は――
カルディアではない。
リエルの力。
黒い欲望が、渦を巻き。
二人を包み込む。
「……っ!」
ゼノスの光が届く直前。
二人は――消えた。
静寂。
ゼノスだけが、その場に残る。
「……対象リエル」
初めて、その名を口にする。
「分類不能」
「欲望発生源の可能性」
わずかな間。
「最優先排除対象へ指定」
一方――
どこか、歪んだ空間の奥。
カルディアは、膝をついていた。
呼吸が荒い。
身体が熱い。
「……なんだ……これは……」
リエルは、その前にしゃがみ込む。
「ねえ」
「……触るな」
「なんで?」
「……抑えられない」
正直な言葉だった。
リエルは、少しだけ考えて。
そして――
「じゃあ、抑えなくていいよ」
そう言って。
自分の首元に、彼の手を導いた。
「……リエル……」
「欲しいんでしょ?」
逃げ場は、もうなかった。
カルディアの理性が、崩れる。
ゆっくりと。
彼は、顔を近づける。
リエルの肌に、触れる。
そして――
噛みついた。
その瞬間。
世界が、裏返る。
甘い。
熱い。
そして――
壊れる。
カルディアの中で、何かが完全に崩壊した。
欲望が、流れ込んでくる。
リエルの中から。
無限に。
止まらない。
「……っ、や……」
リエルが、かすかに声を漏らす。
だが――
カルディアは、止まれない。
喰らうのではない。
奪う。
飲み込む。
全部。
そのとき。
リエルが、彼の頭を抱き寄せた。
「……大丈夫」
優しく、囁く。
「それでいいよ」
その言葉が――
最後の楔を、外した。
黒い衝動が、爆発する。
空間が歪み。
欲望が暴走する。
そして――
カルディアは、初めて“満たされた”。
だが。
その代償は――
あまりにも、大きかった。
彼は、もう戻れない。
完全に。
“欲望そのもの”へと、堕ちた。
そして――
リエルは、微笑んだ。
まるで、それを待っていたかのように。
「やっとだね」
その言葉が意味するものを。
カルディアは、まだ知らない。
だが――
この瞬間から。
世界は確実に、壊れ始めていた。