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放課後の空気は、まだ少し夏を引きずっていた。夕陽に照らされた廊下を、ゆっくりと歩く足音。
ドアが開き、少女が顔をのぞかせる。
「……ここ、入っていいですか」
遥は顔を上げる。
ノートを閉じて、「どうぞ」と静かに促した。
少女は机の前に立ち、手のひらをぎゅっと握りしめている。
しばらく黙っていたが、ようやく言葉を吐き出した。
「……忘れられない言葉があるんです」
その声には、ためらいと痛みが混じっていた。
「中学のとき、先生に言われたんです。
“お前には何も期待してない”って。
たった一言なのに、
それがずっと、頭から離れないんです」
遥は少しだけ息を呑む。
彼女の目は、もう泣きそうだった。
「それ以来、何かに挑戦しようとすると、
あの言葉がよみがえるんです。
“どうせ自分なんて”って。
……でも、そんな自分も嫌で」
沈黙が落ちる。
時計の音が、やけに大きく響いた。
「……そういう言葉ってさ」
遥は少し俯きながら言った。
「時間が経っても、消えないんだよな。
気づけば、心の奥で何度も再生されてる」
少女が顔を上げる。
「遥さんにも……あるんですか?」
「……あるよ。
“お前の存在が迷惑だ”って言われたことがある。
それ以来、自分の声が小さくなった。
何をしても、誰かの邪魔になる気がして」
淡々と話す遥の表情に、どこか遠い影が差していた。
「でもな、最近思うんだ。
“忘れられない言葉”って、
本当は、自分が“忘れたくない”から残ってるのかもしれない」
「……え?」
「その言葉が、痛いほど自分を傷つけたからこそ、
“もう二度とあんな言葉に負けたくない”って、
どこかで思ってる。
だから、消えない。
それは、弱さじゃなくて……生きてきた証なんだと思う」
少女の肩が、すこしだけ震えた。
それは泣き出す前の静けさに似ていた。
「……そう思っていいんですか」
「いいよ。
忘れられないなら、無理に忘れなくていい。
そのかわり、あの言葉を“終わらせる”瞬間を、
自分で選べばいい」
「終わらせる、瞬間……?」
「そう。
その言葉を思い出しても、もう傷つかないって思えたとき。
それが、過去より強くなれた証拠だよ」
少女はゆっくりと頷き、目元をぬぐった。
窓の外では、夕陽が沈みかけていた。
帰り際、少女は振り返って、小さく笑う。
「……不思議ですね。
嫌な言葉のはずなのに、
今はちょっとだけ、ありがとうって言いたくなりました」
遥もまた、わずかに笑った。
「その“ちょっとだけ”が、大事なんだ」
夕陽が二人の背を照らし、
影だけが長く伸びて、静かに重なった。