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事故渋滞に巻き込まれたのは、寄り道先を出てから2時間ほど経った頃だった。キャンプ場を出たのは朝。
そのあと田島は、まどかと一緒にいくつかの観光地を車で巡った。
展望台、湖畔、古びた神社。どれも車窓から眺めただけだったが、田島はその時間を惜しまなかった。何かの予感に突き動かされたかのように。
そして午後の遅い時間、ようやく街へ向けて本格的に走り出したのだった。
今、田島はハンドルを握りながら、前方の赤いテールランプの列を見て小さく舌打ちした。。
「まいったな……」
助手席のまどかが、少し間を置いて口を開いた。
「臭くない?……今まで聞かなくて悪かったんだけど」
田島はちらりと横を見て、笑った。
「最初はね。でももうマヒした」
まどかは黙って窓の外を見つめた。
死臭は時間とともに車内に染み込み、田島の鼻もすっかり慣れてしまっていた。
太陽はすでに傾き、街の灯りがひとつ、またひとつと点いていく。
夕方が夜に変わる頃、ようやく渋滞を抜け、田島は幹線道路へと車を滑らせた。
「マヒって、慣れただけじゃないの?」
「まあね。でも、慣れるってのも才能だよ。ゾンビと一緒にいる才能」
まどかはそれ以上何も言わなかった。
車内には、死臭と冗談と、少しの沈黙が漂っていた。
その時だった。前方に赤いライトが見えた。警察の検問だった。
田島が小さく舌打ちする。
「検問か……」
その声には、わずかな緊張が混じっていた。
ハンドルを握る手に力が入り、まどかがちらりと彼の横顔をうかがう。
「うしろに隠れようか?」
「それ、逆にやばい。死体運んでると思われる」
「……だよね……。どこから見ても、死体以上に死体だもん、私」
車列はじわじわと進み、警官の懐中電灯が車内を照らすまで、あと数台。
車内の空気が、少しだけ張り詰めた。
田島が何かを閃いたように、まどかの方を見た。
「ごめん!」
そう言って、彼は突然まどかにキスをし、同時に強く抱きしめた。
まどかは一瞬、何が起きたのかわからず、目を見開いた。
そしてすぐに顔をそむけ、「なにするのよ!」と声を上げた。
怒りというより、驚きと戸惑いが混ざった反応だった。
田島は笑いながら言った。
「ゾンビのコスプレって設定で乗り切ろう。だから俺もゾンビ風にならないと」
彼の唇は、まどかの皮膚に触れたことで紫色に染まり、服も彼女の体液で汚れていた。
田島はさらに自分のシャツを破き、髪をぐしゃぐしゃにした。
そして、ふと足元に目をやる。靴の縁に、まどかが蘇ったあの場所の土がまだこびりついていた。
田島は指先でそれをこそげ取り、ためらいなく自分の頬に塗りつける。
「よし、これでゾンビ感アップ!」
その姿は、まるでゾンビカップルだった。
検問の列が進み、ついに彼らの番が来た。
警察官が窓をノックする。田島が窓を開けると、死臭が一気に外へ漏れ出た。
警察官は顔をしかめ、鼻を押さえた。
「この匂いは……」
田島は即座に言った。
「リアルなゾンビを演じたくて、腐った肉を使ってるんです」
警察官は眉をひそめた。
「腐った肉?」
「はい、特殊メイクの一環で。ちょっと本気すぎたかも」
もう一人の警官が近づいてきたが、匂いに顔をしかめ、すぐに距離を取った。
「……まあ、コスプレなら。気をつけて」
その言葉とともに、車は通過を許された。
田島は窓を閉め、深く息を吐いた。
「俺、演技うまくなったかも」
「うん。ゾンビ役、似合ってた」
「でも感染するリスク、考えなかったの?」
「……無我夢中で、考えもしなかった」
「感染したのかな……俺?」
ふたりは顔を見合わせ、次の瞬間、声を上げて笑った。
死臭の残る車内に、笑い声が響いた。
田島は笑いながら、ふと心の中で思った。
──まどかなら、感染してもいいな……。
笑いが静まると、田島はギアを入れ直し、アクセルを踏んだ。
車は再び夜の街を滑り出す。
田島の家へ向かって。
検問の緊張から解放された車内には、しばらく安堵の沈黙が流れた。
その静けさを破るように、田島が言った。
「ラジオでも聞こうか?」
ダッシュボードのボタンを押すと、FMラジオが流れ始める。
いくつかの曲が流れ、やがて、あるアイドルグループのポップなナンバーが車内に広がった。
そのとき、田島は気づいた。まどかが、口ずさんでいる。体を小さく揺らしながら。
「知ってるの、この曲?」
「そうみたい……」
まどかは、少し驚いたようにうなずいた。
その曲は、SNSでバズっている女性アイドルグループの最新ヒットだった。
“UNDONE”という少し変わった名前のグループだ。
「手がかりになるかも」
「なら、いいね」
田島は少し考えてから言った。
「そういえばこのグループ、誰か卒業したな、先月……」
ふと、まどかの横顔を見る。
そして、心の中でつぶやいた。
──そういえば、卒業発表のあと、ネットで“性別詐称疑惑”が騒がれてたな……。
どこから湧いた話だよ、ほんと。
沈黙が戻った車内で、FMラジオだけが軽快な音楽を奏でていた。
まどかは窓の外をぼんやりと眺めていた。
街の灯りが少しずつまばらになり、住宅街の静けさが車内にも染み込んでくる。
田島は何も言わず、ゆるやかにハンドルを切った。
やがて、見慣れた角を曲がり、車はゆっくりと減速する。
田島の家の前に差しかかると、彼はウィンカーを出し、静かに車を停めた。