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そるとっち
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高校生サッカー部設定です(後に大学で再会)
1話▶︎響き渡るアオノオト / side柔太郎
夕方のグラウンドは、いつもより少しだけ静かだった。ボールを蹴る音と、スパイクが芝を削る乾いた音。それから、ときどき聞こえる佐野先輩の声。
「今の、もう一回」
短い指示なのに、不思議とそれだけでチームのみんなの動きが揃う。
俺はボールを受けて、前を向く。視界の端に、走り込んでくる佐野先輩の背番号が見えた。
——そこに出せばいい。
考えるより先に、足が動いていた。
低く速いパス。先輩はそれを当たり前みたいに受けて、そのままゴールに流し込み、ネットが揺れた。
「ナイス」
振り返った先輩が、少しだけ笑った。
たったそれだけで、胸の奥がざわつく。
もちろん、今のはプレーがよかったからだ
そう思い込もうとしてるのに、なんだかうまくいかない。俺がサッカーを始めた理由も、このチームに入った理由も、たぶん全部そこにあるのに。
「おい柔、ぼーっとすんな」
軽く頭を小突かれ顔を上げると、いつも通りの先輩。 近い距離、触れられるくらいの位置に。
それなのに、その一歩だけが、どうしても踏み込めない。もう、ずっと。
「……すみません」
そう言うしかない自分に、少しだけ苛立つ。
本当は違うことを言いたいのに。
例えば、好きです、とか。
喉の奥まで出かかって、結局、全部飲み込んだ。
ホイッスルが鳴り、 次のプレーが始まる。
何もなかったみたいに、また俺たちは走り出す。
今日は佐野先輩の引退試合。
試合終了のホイッスルは、やけに長く響いた気がした。その瞬間、全部が終わったんだと分かる。
三年の引退、このチームで過ごす時間の終わり。
そしてそれは、先輩と並んでサッカーをする日々の終わりでもある。
「……っしゃあ!」
大きく響く佐野先輩の叫び声で現実に引き戻される。
勝っていた。最後の大会、最後の試合を。
最高の形で終わったはずなのに、胸の奥は、どうしてか空っぽだった。
気づいたら、先輩を探していた。
人の輪の向こう、吉田先輩に肩を叩かれて、笑っている、いつも通りの顔。耳から顎にかけて綺麗なラインを描く横顔。
その“いつも通り”が、今日で終わる。
(……言わなきゃ)
今しかないと、分かってるのに、足が言うことをきかず、動かない。
「——おい、柔」
不意に、名前を呼ばれて振り向くと、すぐ近くに先輩がいた。
「どした、そんな顔して」
少しだけ息が上がっていて、額に張り付いた前髪が、やけに近い。言える距離だと思った、今なら、今しか、言わなきゃ、言え、言うんだ、
「俺……」
なのに、喉がうまく動かない。
頭の中では何度も言ってきた言葉なのに。
「……先輩と、サッカーできて、よかったです」
出てきたのは、それだけだった。
一番言いたくない、無難な言葉、一瞬だけ、先輩が黙る。それから、少し困ったみたいに、笑った。
「なんだよ、それ。引退の挨拶か?俺さ、お前とプレーできて楽しかったよ、来年は頼むぜ、キャプテン」 軽く肩を叩かれ、触れた場所が熱を帯びていく。
いつもと同じ距離、いつもと同じやり取り、いつもと何もかもが同じ。
だから決してそれ以上には、ならない。
「……はい」
そう答えるしかなかった。
本当は違う、こんなことが言いたいんじゃない。
もっと、ちゃんと——
「俺もさ」
先輩がぽつりと呟く。
「お前とやるの、好きだった」
心臓が、大きく跳ねた。
あわてて顔を上げたが、その続きの言葉は、なかった。
「ほら、行くぞ。みんな待ってる」
いつも通りの声、広い肩幅、ボールを難なくつかめる大きな手、背中を向けて歩き出す先輩の背中が瞳の中で歪んでいく。今なら、呼び止めれば、何か変わるかもしれない
「……先輩」
小さく呼んでも、もう届かない距離だった。
グラウンドに残るのは、踏み荒らされた芝と、さっきまでの熱の残りだけ。ホイッスルは、もうとっくに鳴り終わっていた。
それでも、俺だけが、まだ試合の途中みたいに、止まったままだった。