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迷宮での激闘から一夜明け、高級宿”光樹の回廊”にあるメルティナの自室は、魔法薬の甘い香りとハーブの清涼な匂いで満ちていた。
部屋の壁際には魔術書がぎっしりと並び、机の上には色とりどりの香水瓶や錬金術の実験道具などが所狭しと置かれている。好奇心旺盛な彼女の性格がそのまま表れたような、賑やかで雑多な空間だ。色とりどりの香水瓶や錬金術の道具が机上に並び、その中心でメルティナが息を詰めていた。
「よしっ……この魔力回路を銀の台座に焼き付けて、と……」
片目に拡大鏡を取り付けた彼女は、極細の魔力ペンを使い、真剣な横顔で細かな作業を進める。手元にあるのは、先日の迷宮で手に入れた嘆きの晶獣の核だ。本来は鈍く光るだけの鉱石が、メルティナの丁寧な研磨によって、今や極上の宝石のように透き通った青色を放つ。ソラスはその作業の様子を隣の椅子から身を乗り出すようにして、じっと見つめていた。
「メルさんって、本当に手先が器用なんですね」
「……ふふ、そうかな。細かい作業は、昔から嫌いじゃないの」
メルティナは拡大鏡を外し、照れくさそうにふわりと微笑んだ。皆がいる時はあんなに騒がしい彼女なのに、ソラスと二人きりの空間になると声のトーンが落ち途端にしおらしくなる。その穏やかな空気がソラスにとって心地良かった。
「――ソラスちゃんはどうやって魔法の形を決めてるの? 詠唱なしであんな複雑に動く氷の剣を作れるなんて、普通、イメージを保つだけでも大変なはずなんだけど」
「えっと……」
ソラスは少し首を傾げ、自分の手のひらを見つめた。
「イメージというより……お願いしている感覚に近いです。そこから動かないでーとか、弾いてーとか。そう強く思うと、世界が勝手にそれに一番適した形を作って応えてくれるような。……でも、感情が高ぶると、私の意思とは関係なく力が溢れちゃうことがあって」
先日ギルドの測定室を崩壊させかけた時のことを思い出し、ソラスは少しだけ悲しそうに目を伏せた。そんな彼女の横顔を見て、メルティナは胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
「なるほどね。普通の魔法使いはまずコップを用意して、そこに水を注いで形を作るの。詠唱っていうのは魔力を暴走させないための、いわゆる鋳型だよ。でもソラスちゃんの場合、コップを使わずに、いきなり海をまるごと動かしてるようなものなんだね」
「海、まるごと……」
「そう。だから、感情が揺れた時に海が荒れるのは当然のこと。ゼータが買ってくれたチョーカーが波を抑える堤防になってるけど……一番大切なのは、ソラスちゃん自身の心の錨を下ろすことだと思う」
心の錨。ソラスがその言葉を小さく呟くと、メルティナが”できた”と優しく声を上げた。彼女の白い手のひらに乗っていたのは、二つの銀のペンダントだった。細かな細工が施された銀の台座に、綺麗に半分に割られた青い晶獣の核がそれぞれはめ込まれている。窓から差し込む午後の光を受けて、それはソラスの瞳と全く同じ透明な蒼色をキラキラと反射していた。
「わぁ……すっごく、綺麗」
「うん。……後ろ向いて。つけてあげるね」
促されるままに、ソラスは背中をひらりと向けた。メルティナはソラスの後ろに回り、ペンダントの細いチェーンをその華奢な首元へと回す。至近距離から伝わるソラスの温かい匂い。触れれば折れてしまいそうな細い首筋を前にして、メルティナの手が微かに震えた。
……どうしよう。心臓の音、聞こえちゃってないかな。
それは、ただの憧れや過保護なファン心理などではない。相手が同性だとか、出会ってまだ日が浅いとか――そういう全ての理屈を超えてしまった、どうしようもない感情の戸惑いだった。壊れ物に触れるような、祈るような手つきで、カチャリと金具を留める。メルティナの指先がほんの少しだけソラスのうなじに触れ、二人は同時に小さく肩を揺らした。
「……すごく似合う。ソラスちゃんの瞳みたい」
ソラスが胸元に手を当てると、ひんやりとした鉱石の感触の奥底から、じんわりとした魔力の波動が伝わってきた。
「メルさん、これ……」
「ただのアクセサリーじゃないよ。二つの石を共鳴させる繋がりの魔法を編み込んでおいたの」
メルティナは自分の胸元にもう一つのペンダントを当てた。ルビーの瞳がこれまでにないほど真摯で、切実な光を帯びている。
「もし迷宮の奥深くで、はぐれて一人ぼっちになっても。過去の嫌なことを思い出して、押し潰されそうに怖い夜があっても。……これを持っていれば、私が必ずソラスちゃんの居場所を見つける。絶対に助けに行くから」
「メル、さん」
「ソラスちゃんがこれ以上一人で泣かなくていいように。……私が、ソラスちゃんの心の錨になるからね」
それは魔法使いとしての契約よりも重い、一人の乙女としての純粋な誓いだった。いつか彼女が強大すぎる力に飲み込まれそうになった時、こちら側の世界に繋ぎ止めるための、たった一つの命綱。ソラスは胸元の青い石を両手でぎゅっと包み込んだ。
「……はい。私、もう怖くありません。メルさんが……いてくれるから」
ソラスが振り返り、涙ぐみながらも、花が綻ぶような満面の笑みを向けた。その笑顔を見た瞬間、メルティナは言葉の代わりにソラスの華奢な体をそっと、けれど逃がさないように強く抱きしめた。
「……えっと」
「……ちょっとだけ、このままでいさせて」
ソラスの肩口に顔を埋めたメルティナの耳は、真っ赤に染まっていた。普段の騒がしい彼女からは想像もつかないほど、その腕は優しくひたむきな熱を帯びている。ソラスも戸惑いながら、やがてそっと、メルティナの背中に腕を回し返した。
コンコン。
「……あんたたち。そろそろお昼ご飯に……」
開け放たれたドアの隙間からゼータが顔を覗かせる。しかし、ベッドの傍らで窓からの光に包まれながら静かに、そして親密に抱き合う二人の姿を見て、金髪の剣士はぴたりと動きを止めた。
「ゼータさん……?」
「……お昼にするわよ」
普段なら”いつまでいちゃついてるの!”と茶化すところだが、ゼータは二人の間に流れるあまりにも純粋で、侵しがたい空気を察し、静かにドアを半分だけ閉めた。
「ゆっくり降りてきなさい。午後からは、ギルドの資料室で逆さまの蒼穹の深層について調べるから」
「……うん。すぐ行くね、ゼータ」
ソラスを抱きしめたまま、メルティナは少しだけ潤んだ声で返事をする。胸元で揺れるお揃いの青い石が、何よりも強い輝きを灯していた。