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第十二章 ラディスへの帰還
第十五話 紅く染まる 後編
ボッツに連れられて入った店は、
大通りから少し外れた場所にある小さな酒場だった。
まだ昼前ということもあり、店内に客はほとんどいない。
木造の薄暗い店内。
古びたカウンター。
壁に並ぶ酒瓶。
昼間だというのに、どこか夜の空気が残っているような場所だった。
ボッツは店主へ片手を上げる。
「よう」
「お、今日はやけに早いな」
恰幅のいい店主が笑う。
そしてシュンタを見るなり少し目を丸くした。
「おや?」
「今日は随分と可愛い連れがいるじゃねぇか」
ボッツが鼻で笑った。
「こいつは俺の弟分みたいなもんだ」
「まぁ、昔から手のかかるガキだったけどな」
「余計なこと言わんでええねん!」
シュンタが笑う。
「今でも大して変わらねぇか」
そのやり取りを見て、店主も楽しそうに笑った。
「仲良いな」
「まあな」
ボッツはカウンターへ座る。
「それより注文」
「俺はいつものな」
そしてシュンタを見る。
「お前は?」
シュンタは少し考える。
昼間から酒ってどうなんやろ。
でも、こういう場所で話をするなら少しくらい腹を割った方がいい。
「じゃあ俺も同じので!」
「おう、あいよ」
店主は奥へ引っ込んでいった。
ボッツが呆れたように笑う。
「おいおい、お前いつの間に酒飲めるようになったんだよ?」
「もう俺もお子様やないんやで!」
シュンタが得意げに胸を張る。
その様子にボッツは思わず吹き出した。
「ほんとお前、生意気なガキだったのによぉ」
懐かしそうに目を細める。
「俺らの目を盗んで勝手にいなくなったと思ったら、貴族の婦人方に取り入ってたり」
「どっかから変な魔道具や食い物貰ってきたりさ」
「団長もいつも呆れてたよな」
シュンタはわざとらしく髪をかき上げる。
「俺は昔から人に可愛がられる才能があんねん!」
「はいはい」
ボッツが笑った。
そこへ、透明なグラスに注がれた琥珀色の酒が二つ運ばれてくる。
軽く杯を合わせる。
そしてシュンタは、恐る恐る一口飲んだ。
「うわっ……きっつ!」
顔をしかめる。
ボッツは腹を抱えて笑った。
「やっぱまだまだガキだなぁ!」
「なんやそれぇ!」
そんな軽口を交わしながら、二人はゆっくり酒を飲み始めた。
しばらく、昔話や他愛ない話をしていたが。
やがて、ボッツがふと真面目な顔になる。
「……さっきの話だけどよ」
「月蝕の子」
その言葉に、シュンタの紅い瞳が細くなった。
「ここの出身なんだろ?」
「北門近くの薬屋の……」
黒髪黒眼。
この街では目立つ。
昔から知られていても不思議じゃない。
シュンタは小さく頷いた。
「じゃあボッツは……」
グラスを見つめながら聞く。
「2年前の事件も知っとるん?」
2年前。
ジントとダイチがラディスを離れるきっかけになった、魔物襲撃事件。
二人からそれとなく聞いてはいた。
だが詳細は知らない。
ボッツは少し考え込む。
「あー……」
「その頃俺、まだこっち来たばっかだったんだよな」
「街にも馴染んでなかったし」
グラスを揺らす。
「事件自体、北門近くの被害だけだったらしいから、直接見たわけじゃねぇ」
「そこまで大きなもんじゃなかったって聞いてる」
シュンタは静かに聞いていた。
「他には?」
「……ただ」
ボッツが顔を上げる。
何かを思い出したように。
「事件の後、教会が色々動いてた気がするな」
「目撃者への口止めとか」
「“あれは危険な闇の力だ”とか」
「“太陽神へ祈れ”とか」
「……」
シュンタは無言でグラスを見つめた。
ーーやっぱり。
もうその頃には、目を付けられていたんやな。
するとボッツがふと思い出したように声を上げる。
「あ!」
「ここの店主、当時のこと詳しく知ってるはずだぞ」
「聞いてみるか」
そう言って、カウンターの向こうでグラスを拭いていた店主へ声を掛けた。
「ガレット」
店主、ガレットが顔を上げる。
「ん?」
「注文か?」
ボッツが少し真面目な顔になる。
「ちょっと聞きたいことがあってな」
「2年前の北門の魔物襲撃事件の件なんだが……」
その瞬間、ガレットの表情が変わった。
眉をひそめ、周囲を見回す。
店内に他の客はいない。
だがそれでも声を潜めた。
「あまり大きな声じゃ言えねぇが……」
「この話、この街じゃタブーだ」
重い空気が落ちる。
しかし、ガレットは二人を見て小さく息を吐いた。
「……まぁ、お前達だけならいいか」
そう言って、ゆっくり語り始める。
当時。
ガレットは北門近くに店を構えていた。
目の前で、実際に魔物が街へ侵入し、建物を壊し、人々を襲う姿を見た。
そこへ。
ソルト家の長男と、薬屋の少年が現れた。
二人で必死に戦い、街を守った。
だが。
「その薬屋のガキの力が異様だった」
ガレットの声が低くなる。
「まるで影を操ってるみてぇで……」
「魔物を、“喰ってる”ようにも見えた」
シュンタは黙って聞いていた。
ガレットはさらに続ける。
「その後だ」
「教会の連中が来てな」
「“それを見た者は呪われる”」
「“黒髪黒眼は不吉の象徴だ”」
「“全て忘れて太陽神へ祈れ”」
「……そう言われた」
グラスの氷が、カランと音を立てる。
「だからこの事件、あんだけ大きかったのに、この街じゃ一部しか知らねぇんだよ」
ガレットは苦々しげに言った。
「……隠蔽、されたんやな」
シュンタが小さく呟く。
ボッツも吐き捨てるように言う。
「教会ってのはいつもコソコソしてて胡散臭ぇな」
シュンタは答えなかった。
ただ、グラスの中の琥珀色をじっと見つめる。
まだ何かある。
そんな気がした。
漠然とした違和感。
胸の奥に引っ掛かる何か。
ラディスへ戻ってから、ずっと感じているもの。
それが今、少しずつ形を持ち始めていた。
ーーー
シュンタ達が店を出る頃には、空はすっかり夕暮れ色へ染まり始めていた。
昼間の賑わいが少しずつ落ち着き、
ラディスの街には夜を迎える静かな時間が流れ始めている。
飲み慣れない強い酒のせいか、頭は少しだけぼんやりしていた。
けれど黄昏時の冷たい風と、今日聞いた話を思い返すことで、ゆっくりと酔いが冷めていく。
「今日はありがとな!」
シュンタはいつものように笑う。
「久々に楽しかったわ!」
ボッツは呆れたように肩を竦めた。
「ったく、お前は昔から変わらねぇな」
「そうか?」
「そうだよ」
「昔から騒がしくて、人懐っこくて……」
少しだけ笑う。
「でも、妙に周りをよく見てる」
その言葉にシュンタは一瞬だけ目を細めた。
だがすぐにいつもの笑顔に戻る。
「なんやそれ、褒めとる?」
「さぁな」
ボッツは笑った。
そして少し真面目な顔になる。
「何か分かったら連絡する」
その言葉にシュンタは小さく頷いた。
「頼むわ」
二人は店の前で別れる。
ボッツが路地の奥へ消えていく。
シュンタは一人、細い路地を歩き始めた。
-–
やがて、遠くから大通りのざわめきが近付いてくる。
夕暮れのラディス。
魔石灯が一つ、また一つと灯り始め、街を柔らかい光で包んでいく。
帰宅する人々。
夕飯の匂い。
店から漏れる笑い声。
彼らにとっていつもと変わらない、穏やかな日常。
なのにシュンタには、どこか妙に見えた。
まるでそれら全てが、薄い膜を通して見えているような、そんな感覚。
街の中央付近まで来た時。
ふと視界の先に白い塔が映った。
高くそびえる教会。
夕日に照らされ、美しく輝く建物。
白い修道服を纏った神官達が、静かに中へ入っていく。
シュンタは足を止めた。
紅い瞳が細くなる。
脳裏に浮かぶ、今日聞いた話。
二年前この街で起きた事件。
そして帝国で見たジント。
周囲を包む黒い影。
恐怖に怯える神官達。
それなのに倒れたダイチを助けるため、必死に手を伸ばしていた姿。
泣きそうな顔で、ダイチの名前を呼ぶ声。
シュンタは小さく息を吐く。
「……教会は」
ぽつり。
「ほんまに、何も知らんやろな……」
その瞬間。
――ゴーン……
――ゴーン……
教会の鐘が鳴り響いた。
大きく、街全体を包み込むような音。
けれど、何故だろう。
昔なら何とも思わなかったその音が、今は少しだけ、胸の奥をざわつかせる。
シュンタは静かに視線を逸らした。
そして教会の前を通り過ぎる。
冷たい風が吹く。
夕焼け色の空が、少しずつ夜へ沈んでいく。
その時、ふと言葉が零れた。
「……早よ、みんなに会いたいな……」
言った瞬間、シュンタ自身が少し驚いた顔をする。
そして小さく笑った。
「……俺も変わったなぁ」
昔なら、一人でどこへでも行けた。
知らない街。
知らない人。
それでも楽しかった。
けれど今は、帰る場所がある。
待っている人がいる。
シュンタは空を見上げた。
帝国で出会った仲間。
五人で歩いてきた道。
背中を預けられる存在。
気付けばそれはもう、ただの旅仲間ではなくなっていた。
「ほんま……不思議やなぁ」
小さく呟く。
そして西へ沈む夕日に向かって歩き出す。
赤く染まる街並み。
長く伸びる影。
吹き抜ける秋風が、赤い髪を揺らしていく。
頬が少し赤いのは、酒と夕日のせいだけではない。
紅い瞳に映る光も。
胸の奥に灯る温かさも。
きっと、この旅で出会った大切なもののせいだった。
コメント
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ああ、この回、じんわり沁みました…。シュンタが久しぶりにボッツと酒を酌み交わしながら、昔話に花を咲かせる空気感が、本当に自然で温かかったです。でもそこから教会の隠蔽に触れるガレットの話が入ってきて、一気に背筋が冷えるような重さが…。そして最後、シュンタが「早よ、みんなに会いたいな」と自然に口にするところで、グッときました。一人で飛び立った子が、帰る場所を持てたんだなって。夕焼けに染まる街並みと、彼の紅い瞳が重なるラストシーン、とても好きです。