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放課後。相談室のドアが、ゆっくりと開いた。
日下部は、ペンを置いて顔を上げる。
「……入っていい?」
制服の袖を握りしめたまま、ためらうように立つ女子生徒。
その声には、少しだけ張り詰めたものがあった。
「どうぞ」
日下部が答えると、彼女は静かに椅子に座り、視線を落とした。
「……“ちゃんとしなきゃ”って、思いすぎて、もう息苦しいんだ」
言葉は震えていた。
けれど、涙はない。泣き方を忘れたみたいに、感情の奥で固まっていた。
「テストも部活も、人間関係も。ちゃんとしてないと、ダメだって思ってる。
“頑張ってて偉いね”って言われるのも、しんどくて。
だって、頑張れてる自分しか見せちゃいけない気がするから」
日下部は、机の上のノートを閉じた。
「……“ちゃんと”って、誰のため?」
「……わかんない。
誰かのためのつもりじゃないけど、でも“崩れたら嫌われる”気がする。
手を抜いたら、“期待外れ”って思われそうで」
「それ、しんどいな」
彼は小さく息をつき、窓の外に目を向けた。
曇った空の向こう、夕陽が滲む。
「“ちゃんと”ってさ、たぶん“生きるため”の言葉じゃなくて、“評価されるため”の言葉なんだと思う。
でも、人って完璧じゃないまま生きるもんだろ。
ちゃんとできなくても、生きてる時点で十分“ちゃんと”してるよ」
「……そんな簡単に言えたら、苦労しないよ」
「そうだな。
でも、俺も同じだった。
“ちゃんとしろ”って言われて育って、気づいたら“誰かの期待”で自分を測るようになってた」
「……今は?」
日下部は少しだけ笑った。
「少しずつ、“ちゃんとしなくてもいい自分”を練習してる途中」
彼女の目がわずかに和らぐ。
「完璧でいようとするほど、人は自分を嫌いになる。
でも、完璧じゃない自分を認められた瞬間、ようやく“本当の自分”に会えるんだと思う」
「……難しいね」
「うん。難しい。
でも、“できない”って口に出せるようになったら、少し軽くなる。
その“少し”を積み重ねたら、ちゃんとじゃなくても、生きていけるよ」
沈黙が落ちる。
彼女は膝の上で手を組み、ぽつりと呟いた。
「……ちょっと、休んでもいいかな」
「いいよ。休むのも“ちゃんと”のうち」
その言葉に、彼女はようやく小さく笑った。
窓の外の空は、灰色の雲の隙間から、かすかに光をこぼしていた。