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*****


「何……してんだよ」

情けないことに、ノンストップで八階まで駆け上がって、俺は息が上がっていた。汗で濡れたワイシャツが背中に張り付いて気持ちが悪い。

俺はネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを一つ外した。

観光ビルのエントランスに入った瞬間、侑からの着信に気が付いた。侑の指示で八階まで階段を駆け上がり、咲のいる秘書室に誘導された。

「咲を見つけた。連れて出るよ」

俺は侑に伝えて、スマホをスーツのジャケットの胸ポケットに滑らせた。

「なん……で——」

咲は俺が秘書室に入ったことにも気が付かず、夢中でキーボードを叩いていた。突然声をかけられて、相当驚いたようで、声の主が俺だということでさらに驚いたようだった。

こんな状況なのに、久しぶりに目に映る咲に見惚れている自分がいた。

髪をきつく縛って、フレームのない眼鏡をかけ、スリットの入った膝丈の黒いスカートに白のジャケットを着た咲は、まさに秘書の装いで、妙に色っぽかった。

「何してるんだよ」

俺は必死に冷静を装って、呼吸を整えた。

「ここを出るぞ」

「まだ!」と咲が珍しく声を荒げた。

「もう少しなの!」

「咲!」

俺はPCに向き直ろうとする咲の腕を強引に掴んだ。

「もう少しで証拠が——」

「これ以上は危険だ! 侑の助けなしで、こんなところを誰かに見つかったら——」

「いい!」と言って、咲は俺の手を振りほどこうとした。

「見つかってもいいの!」

咲が焦っていることは見て取れた。

こんな咲は、らしく、ない。

「どうしたんだよ!」


ハッとした——。


目に飛び込んできた咲のうなじの赤い痕に、俺は無意識に咲の腕を掴む手に力を込めた。

「いた——」

「兄さんのためか——」

『咲をくれよ』と言った充兄さんの声が、頭に響く。

「充兄さんのためか——」

『咲もまんざらじゃなさそうだしな』

「何、言ってるの……」

「充兄さんが良くなったか?」

『お前に似たこの声に感じてたぞ?』


そう言った充兄さんは、笑っていた——。


「今すぐここを出る」

「まだ——」

「だったら、ここで脚を開くか——?」

我を忘れる、ということの意味を、初めて身をもって知った。

咲が驚きと恐怖が入り混じったような表情で、俺を見上げている。

それでも、俺は咲を掴む手の力を緩めなかった。

「見られてもいいんだろ……」

俺は強引に咲のスカートの中に手を滑らせた。

「やっ——!」

「今すぐ、ここを出るぞ」

観光ビルを出て、咲を俺の車の助手席にシートベルトで縛り付けるまで、俺は咲の腕を離さなかった。

俺が車を走らせている間、咲は一言も話さなかったし、俺を見ようともしなかった。

充兄さんと何があった?

今すぐにでも問いただしたい衝動を何とか堪えながら、俺は掌が擦り剝けるほど強く、ハンドルを握りしめていた。

「蒼、今は一緒には——」

咲の言葉を無視して、俺は助手席のシートベルトを外して、無理やりに咲を車から降ろした。

「蒼!」

今、口を開くと、うなじの痕のことや充兄さんとの関係を問い詰め、責め立ててしまいそうで、俺は唇をギュッと閉じていた。

咲を怯えさせていることはわかっているし、そうしたいわけでもない。けれど、咲のうなじに痕をつけたのが充兄さんかもしれないと思うと、自分を抑えられない。

充兄さんが好きだし、尊敬しているし、憧れている。だからこそ、負けたくない。けれど、勝てる気もしない。

『咲が充くんを気に入って、大きくなったら充くんのお嫁さんになるって……』

子供の頃の話だとは、わかっている。けれど、充兄さんは覚えているんじゃないのか? 自分のお嫁さんになりたいと言っていた女の子が、綺麗な大人の女になって目の前に現れたら……。

咲と付き合うまで、嫉妬なんて感情は知らなかった。独占欲なんて、自分にはないと思ってた。

「充兄さんと寝たのか?」

玄関に入るなり、俺は咲を壁に押し付けた。

「何言ってるの? そんなこと——」

「じゃあ、この痕は?」

俺が咲の首に手を回すと、咲はビクッと身体を硬直させた。

「痕って……」と言って、咲はハッとしたように目を見開いた。

「違う! これは——」


思い当たることがあるのか……。


咲が気まずそうに手で痕を隠す。

「何が違うんだよ!」

俺は感情のままに怒鳴ってしまった。

咲がギュッと目を閉じて、うつむいた。

「渡さないからな——」


たとえ、咲と充兄さんに関係があったとしても……。


「愛人だろうがセフレだろうが、どんな関係だって——」


たとえ、会社がどうなっても……。


「絶対、離さないからな!」


咲より大切なものなんて、ない——。


俺は力の限りで、咲を抱き締めた。

「誰とも寝てない……」

咲がポツリと言った。

背中に、咲の手の感触。

「蒼のお見合いの話を聞いて……、蒼に会えって言われたけど私が頷かなかったから、その……」


充兄さんのいたずら……?


「さっきは? なんで侑と連絡を絶ってまで——」

「あれはっ——」と、咲が顔を上げた。

「蒼のお見合いの写真を見せられて……」

「写真?」

「蒼が髪の長い女を抱き寄せてる写真がSNSにアップされてるって、侑に言われて……」


ああ……、あの時の……。


「早く証拠を掴まなきゃって……焦っちゃって——」

「妬いた?」

さっきまでの怒りや嫉妬は、抱き締めた咲の温もりで溶けていた。

咲が俺の腕の中で、小さく頷く。

三週間ぶりの咲の感触。

三週間ぶりの咲の匂い。

三週間ぶりの咲の声。

たった三週間なのに、三か月、いや三年は離れていたように感じた。

「ごめん……。もう乱暴にしないから——」と言いながら、俺は咲の顔を覗き込んだ。

「抱いていい?」

咲が顔を赤らめて、目を逸らした。

たったそれだけの仕草で、俺の薄っぺらい理性の壁が音を立てて崩れた。

「いや、抱くから!」

俺は咲を抱き上げて、寝室へ急いだ。


*****


「またしばらく……会えなくなるか?」

会えずにいた三週間を取り戻すように、夜まで何度もセックスをして、汗を流すために二人で風呂に入っている時に、俺は聞いた。

背後から咲を抱き締めていると、嫌でも充兄さんの残した痕が目に入った。熱さで浮き上がるように鮮明に見える。

「そうね……」

俺は充兄さんの痕に口づけた。

「でも、必要な時は連絡するから……」

「必要な時?」

痕を塗り替えたくて、強く吸う。

「状況や行動が不透明なのは効率が悪いし、ここまで複雑になってくると——」

「本音は?」と言って、俺は彼女の耳を舐めた。

「言えよ……」

「……不安なのはやだ——」

「声が聴きたいのは……必要な時?」

俺は咲の腰を抱いていた手をゆっくりと上に移動させた。彼女の胸の膨らみをなぞる。

「ん……」

「会いたいのは……?」

片手で咲の下腹部を弄る。

「……あっ——」

「充兄さんには触られた……?」

聞かずにいようかとも思ったが、やっぱり気になった。

「ちが——」

「キスは?」

「…………」


沈黙はイエスってことか——。


「されたのか?」

俺は咲に触れる手に力を込めた。

「んんっ——」

「感じた……?」

「そんなことな——」

俺は咲の身体の向きを変えると、咲の中に挿入るように、彼女の身体を乗せた。

「ちょ——」

「俺はあのお嬢様には何も感じなかったな」

俺の動きに合わせて、湯が波打つ。

「蒼、ダメ——」


やばっ——。


いたずら半分にゴムなしで挿入れたのは間違いだった。あまりの気持ちよさに、腰が止まらない。

「あ……」

咲の声が浴室に響いて、いつも以上に興奮させた。

俺のリズムに合わせて咲の身体が揺れて、それが咲自身のリズムになる。

ゴムをしていないことをわかっていて、咲も動きを止めようとしなかった。

この快感に身を任せたいという感情と、子供が出来たら咲と結婚できるという計算が、俺のリズムを加速させた——。

女は秘密の香りで獣になる

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