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遥は、あの日からずっと逃げ続けていた。教室では日下部と距離を取り、視線を合わせない。
昼休みもトイレや屋上でやり過ごし、放課後は姿を見ないように帰路を選んだ。
けれど、どれだけ避けても、日下部の存在は背中にまとわりついて離れなかった。
声が耳に残っている。
「壊させない、俺が」
「おまえを選ぶ」
どうして、あんなことを言えるのか。
どうして、信じさせようとするのか。
信じた瞬間、裏切られるのは目に見えているのに。
実際、今まで何度もそうだったじゃないか。
兄や弟たちに、同級生たちに、友達を装った誰かに。
信じれば踏みにじられる。
騙されれば笑われる。
――その繰り返し。
だから、日下部だって結局は。
そう思うことで、必死に自分を守ってきた。
しかし、ある日の放課後。
校舎裏に向かおうとした遥の前に、日下部が立っていた。
逃げ道を知っていたかのように。
腕を伸ばされるより先に、遥は言葉で突き放そうとした。
「……ついてくんな」
その声は思ったよりも掠れていて、頼りなかった。
日下部は立ち止まったまま、まっすぐ遥を見ている。
怒っているようには見えない。
むしろ、どこか苦しそうで。
「遥」
ただ名前を呼ばれるだけで、胸がぎゅっと縮む。
「……もういいだろ。おれなんかに構うなよ」
吐き捨てるように言った。
だが、返事はなかった。
代わりに、足音が近づいてきた。
「やめろ」
後ずさる遥。
追い詰められるのは、誰よりも怖い。
けれど日下部は、ただ一歩ずつ歩み寄るだけだった。
無理やり腕を掴むこともせず、ただ距離を詰める。
「……俺だってさ」
ようやく口を開いた日下部の声は、低く震えていた。
「強いわけじゃねえ。ずっと黙ってれば届くと思ってた。でも、もう……きつい」
遥は息を呑んだ。
そんなふうに弱さを吐く日下部を、今まで見たことがなかった。
冷静で、我慢強くて、いつも黙って受け止める人間だと思っていたのに。
「おまえが遠ざかるたびに、俺……置いていかれるんじゃないかって思う」
遥の中で、なにかがぐらりと揺れた。
その不安は、いつも自分が抱えているものと同じだったから。
「……バカだろ」
思わず零れた言葉は、怒りでも嘲りでもなかった。
ただ、自分自身に向けるように。
「おれなんか、信じるなよ。絶対裏切る」
吐き出すように言った。
「また誰かに騙されて、おまえまで壊れるんだ……それがオチだ」
日下部は目を逸らさず、遥を見続けた。
その目には拒絶もなければ、諦めもなかった。
「裏切られてもいい」
短く、はっきりと告げられる。
「それでも俺は、おまえのそばにいたい」
遥の胸が、強く痛んだ。
自分の中の孤独や否定が、音を立てて崩れていく。
なのに、怖くて仕方なかった。
「やめろ……そんな顔で言うな……」
声が震える。
涙が喉の奥に突っかかる。
日下部はもう一歩だけ近づいて、手を伸ばした。
遥は反射的に振り払った。
その手の温度が、触れる前から怖かった。
「おれは、おまえに触れられる資格なんかねえんだよ!」
叫びは夜の校舎に響いた。
そしてその直後、遥の頬を一筋の涙が伝った。
自分でも止められなかった。
壊れた心をさらけ出すしか、もうできなかった。
日下部は、その涙を見つめながら、拳を握りしめていた。
触れることすらできないもどかしさに、唇を強く噛んで。
次の瞬間、遥の中で「新しい試し行動」が芽生え始めていた。
日下部が本当に離れないのかを確かめる、さらに残酷な衝動として。