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夜風が冷たい。映画館からの帰り道、二人並んで歩くはずの距離は、不自然に空いていた。
日下部は何も言わず、ただ隣を歩いている。いつもと同じはずの沈黙が、今夜はやけに重く感じられた。
 ――近い。けど、遠い。
手を伸ばせば届く。けど、その一歩が、どうしてもできない。
 遥は唇を噛んだ。
胸の奥に渦巻いているのは、吐き出したくて仕方がない黒い感情だった。
「信じたい」なんて、どうせ無理だ。
「一緒にいたい」なんて、口にすれば壊れるに決まってる。
 だから。
 「……なぁ、日下部」
 唐突に口を開いた自分に、遥自身が驚いた。
隣の日下部が、わずかに顔を向ける。静かな目。
それに耐えられなくて、遥は吐き捨てるように言った。
 「おまえなんか、別にいなくてもいい」
 自分でも、酷い言葉だと思った。
でも止まらない。止められない。
 「俺のことなんて、放っとけよ。おまえがいなくなったって、俺、なんとも思わねぇし」
 声が震えたのを、夜風のせいにした。
 日下部はすぐに返さなかった。
ただ歩調を緩めて、遥の横顔を見つめていた。
それが――何よりも苦しかった。
責めてほしかった。怒鳴ってほしかった。
「最低だな」って言ってくれたら、どれほど楽か。
 「……そうか」
 低く落ち着いた声が返る。
それだけだった。
 遥の胸の奥がざわめく。
「そうか」って何だよ。
突き放してるのは俺の方なのに、なんでそんな目で見てくるんだ。
 「……おまえ、ほんとバカだな」
 わざと吐き捨てる。
 「俺が誰といようが、どこでなにしようが、関係ねぇだろ。……邪魔なんだよ」
 喉が焼ける。
声に乗せた毒が、刃になって自分を刺しているようだった。
 日下部は足を止めた。
その静かな顔に、遥は一瞬だけ怯えた。
でも、やっぱり――怒鳴られることはなかった。
 「……じゃあ、今日はここまでにしとくか」
 淡々と、そう言った。
次の言葉を待った。
「もう一緒にいられない」とか、「おまえのことなんて知らない」とか。
けれど、日下部はただ背を向けて歩き出すだけだった。
 遥は立ち尽くした。
残された空気に、胸の奥が軋む。
なにやってんだ、俺。
そう自分に吐き捨てても、もう戻れない。
 夜の街がにじむ。
街灯の明かりが揺れて、視界がぼやける。
泣きたいのに泣けない。
泣けるほど、自分は綺麗じゃない。
 ――結局、俺は。
愛される価値なんか、ないんだろ。
 そう思った瞬間、胸の奥にひびが入った気がした。
そのひび割れから、闇が滲み出す。
 「……日下部」
 呼びかけた声は小さすぎて、届かなかった。
届くはずがなかった。
届かせるつもりなんて、最初からなかった。
 それでも、立ち去る背中を見つめながら、遥は喉の奥で小さく呟いた。
 「……行くなよ」
 言葉は風にさらわれ、夜に溶けた。
残されたのは、自分自身の孤独の匂いだけ。
それに耐えきれなくて、遥は笑った。
乾いた、壊れかけの笑いだった。
 この夜を境に、遥はさらに自分を追いつめていく。
 「どうせ見捨てられる」
 その確信を証明するために、次の試し行動へ足を踏み出す。