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「…… ねえ、さっきの人誰なの?」
すぐ側に座る後輩の香坂君に、病室のドアが閉まった瞬間そう訊くと、彼は少し渋い顔をした。
「日向司さんっていってね、刑事さんなんだよ。うちの店の常連で、友人の桐生さんとよく二人で開店当時から来てくれている人さ」
香坂君ではなく、店長さんが代わりに答えてくれた。
「お客様が来てくれたんですか?でも何で…… あ!まさか、怪我したから刑事さんを?警察は呼ばないでって言ったのに——」
慌てて動いたせいで、ズキンッと頭の傷口が傷んだ。
「くっ…… 」
短い声を漏らし、頭を押さえる。
「無理しないで!唯先輩っ」
頭を押さえる私の手に、香坂君が手を重ねてきた。
「ごめん…… 大丈夫だよ、大丈夫」
「怪我をした時の事は、覚えているみたいだね」
店長がそう言い、困った顔をした。
「『覚えてる』って…… さっきから皆何を言ってるの?」
店長と、香坂君はわかる。でも、後で来てくれた同じアルバイト仲間らしき子の顔がわからない。さっきいたお医者さんも、私が『貴方の事は知らない』と言った時驚いていたし、さっきの常連客だという人も私を知っているみたいだった。
目を覚ました時の私の話す内容のおかしさに、お医者さんが『もしかしたら、“外傷性健忘症”なんじゃないか』って言ってたけど…… 。
(“外傷性健忘症”って、そもそも何!?)
不安げに周囲に目をやっても、皆気まずそうな顔をするばかりで答えてくれない。
「無理に思い出す事ないですって。忘れた記憶があるって事は、唯先輩にとってそれは、それ程大事な事じゃなかったんですよ」
そう言う香坂君が、何故か嬉しそうだ。
「…… そうなのかな」
「そうですって」
決め付けるような口調で言われ、安心する所か、逆に心がチクッと痛んだ。
「——失礼します」
その言葉と同時に引き戸が開き、先程病室を出て行った二人が中に入って来た。無言で会釈して返すと、二人共同じ様に返してくれる。
香坂君とは逆の方へ周り、『刑事さんだ』と店長が教えてくれた人が私の傍にやって来た。
一瞬切なそうな表情をしたかと思うと、すぐに優しい笑顔になり、手を私の前に差し出しす。その手にどう返していいのかわからず、とりあえず彼の顔を見上げてみた。
「はじめまして、日向司といいます。警視庁で刑事をやっていて、所属は捜査一課です。生まれも育ちもこの街で——」と、彼は急に自己紹介をし始めた。
優しく丁寧に色々教えてくれて、私はそれを必死に覚る。覚えないと、いけない気がした。
「ゆっくりでいい。でも、知っていって欲しい」
彼の切ない声が耳に届くと心が痛い。私は無意識のうちに彼の——日向さんの、手を取った。
「あの、私と貴方の関係は…… その、本当にただのお客様と店員だったんでしょうか?」
何故か違う気がする。確認しないとならないと、心が叫んでいる。
恐る恐る、相手の表情を窺いながらそう尋ねると、日向さんの表情にまた少し陰りが。
「…いいえ。俺の知っている唯…… さんの年齢は二十五歳で、俺の妻でした」
そう言い、病室の冷たい床に膝を立てて日向さんが座る。この身長差だ、私の首が辛くない様にと配慮してくれたんだろうか?
「でも、妻である事を君に強要するつもりは無いから安心して下さい。指輪も、気になるのなら外しておきますから」
「——外さないで!」
頭で考えるよりも、言葉が先に出た。急に出た大きな声で日向さんが酷く驚いた顔をしたが、すぐに優しい笑顔を向けてくれる。その笑顔にほっとし、心が温かな気持ちになる。
(…… なんだろう?この感じ、知らない人なのに怖くない。まさか——ツボど真ん中ってくらい、カッコイイ…… から?いやいや、まさかね)
私も笑顔で返すと、店長が嬉しそうな声で「やっぱり、お前等は似合いの夫婦だな」と言った。
「そうですかねぇ…… 。でも、忘れる程度の関係じゃないですか」
香坂君の不機嫌な声が背中に聞え、私はそっと日向さんの手を離した。
「あ、あの、先生?私はいつまで入院していればいいんでしょうか?」
日向さんと一緒に病室へ入って来た宮川先生に訊く。
「怪我の治療は済んでいるし、脳波に異常は無い。健忘症がある事は大いに問題だが、入院していて治るものではないからな。自宅療法が適当な処置だと思うんだが、残念ながら私は君の担当医じゃないから断言は出来ない。朝一番で担当医と相談しておこう」
「わかりました」
先生の言葉に素直にそう頷いてみせたが、正直即退院したい訳ではなかった。私の実家は遠いし、裕福な家庭でもない。共働きをしている両親に面倒をみてくれとはとてもじゃないが言い難い。
動けない様な位置の外傷ではないけど、時々痛む傷を考えると一人暮らしの家に帰るのも…… 。
——待って、私の部屋ってもう無いんかもしれないんじゃないの!?
さっき日向さんが、私の事『妻』だって言ってたじゃない!
あれ?え?まさか——あんなカッコイイ人と私、屋根の下!?
美味し過ぎないですか!このシュチュエーションはっ!
一気に頬が熱を持ち、ニヤけてしまいそうになった口元を咄嗟に手で覆い隠した。香坂君が不思議そうに首を傾げたが、流石日向さん——『夫だ』と言うだけあって、私の行動の意味がすぐに判ったのか、彼の方からはくすっと笑い声が聞えた。
チラッと宮川先生の方に視線をやると、先生まで見透かしたような目で笑ってて、少し恥ずかしい気持ちに。そのせいで私は、『イケメンには人の心を読む力でもあるんだろうか?』と真剣に考えてしまった。