放課後の相談室。 外は曇り空で、窓から差し込む光は薄い。
引き戸が、ためらいがちな音を立てて開いた。
「……入っていい?」
「どうぞ」
入ってきたのは、一年生の男子だった。制服の袖口は少しほつれ、目は赤く腫れている。
「で、何の相談?」
「……俺、いてもいなくても同じだなって」
日下部は、ペンをくるくる回す手を止めた。
「……そりゃまた、ストレートだな」
男子はうつむいたまま、ぽつぽつと話し始めた。
クラスでも特に目立たず、友達と呼べる相手もいない。家でも親は仕事でほとんど話さない。
「今日も、授業中に俺が消えても、多分誰も気づかないんじゃないかなって思って……」
声が、途中で途切れる。
日下部は机に肘をつき、顎を手で支えながら見つめた。
「……で、消えたいのか?」
男子はしばらく黙り、かすかに首を横に振った。
「じゃあ、なんでそんなこと考えた?」
「……なんとなく」
その答えに、日下部は小さく息をつく。
「な、“なんとなく”って一番やっかいなんだよ」
「……なんで」
「理由がないから、誰も否定できねぇ。俺だってできねぇ」
男子は顔を上げる。
「……じゃあ、俺、このまま“いなくてもいい”で終わるの?」
「終わんねぇよ」
日下部は即答した。
「お前がそう思ってても、誰かはちゃんとお前を見てる」
「……誰もいませんよ」
「じゃあ俺が見てる」
男子は苦笑する。
「そんな適当な……」
「適当じゃねぇ。お前がここに来て、俺がそれを聞いた。それでもう、ゼロじゃない」
しばしの沈黙。
窓の外から、グラウンドのサッカー部の声がかすかに聞こえる。
「……でも、どうすれば“いてもいい”って思えるんですか」
「さぁな。答えは人による」
「またそれか……」
「でもな、まずは“いてもいい理由”を探すより、“いなくてもいい”って思う時間を減らす方が早い」
男子は首をかしげる。
「例えば?」
「飯食ってる時とか、風呂入ってる時とか、ゲームしてる時とか……そういう時は“俺いなくてもいいな”ってあんま考えねぇだろ?」
「……まぁ」
「じゃあ、その時間をちょっとずつ増やす。たったそれだけでも、割と変わる」
男子は、小さく笑った。
「……そんなもんでいいんですか」
「そんなもんでいい。最初から人生全部変えようとすんな」
帰り際、男子は少しだけ背筋を伸ばして言った。
「……また来てもいいですか」
「来いよ。漫画の続き読ませろ」
日下部の言葉は不器用だったが、そのぶん重みがあった。