(どうしてアベル様がここに!?)
というか、歌……!
「も、申し訳ございません……っ! アベル様のお耳に酷い歌を……!」
急いで口元をおさえ、頭を下げる。
「公の場で歌うなど、はしたない真似をいたしましたっ」
「いや、この場には誰もいなかった。それに、俺がすぐに声をかければよかっただけだ。だが……」
バツの悪そうな気配に、私は顔を上げアベル様を見つめる。
と、アベル様は視線を彷徨わせてから、観念したように口を開いた。
「美しい、歌だった。心が洗われるような。だからとつい……やめさせるには、勿体ないと思ってしまった。もっと、聞きたいと」
「――っ!」
ぼんっ、と顔が赤くなったのが自分でよく分かる。
けれどもきっとこの薄闇の中では、顔色の変化なんてよく見えていないはず。
(今が夜で良かったわ……!)
「おっ、お気遣いいただきまして、恐縮ですわ……! 先日の白薔薇といい、アベル様にはご面倒をおかけしてばかりで……」
「面倒だと思ったことはない。……マリエッタ嬢とは、なにかと縁があるようだな」
「!? た、大変光栄にございます……っ!」
どうしよう。この返答であっているのかしら……っ!
(頭が全然回らないのだけど!?)
本当はもっと余裕たっぷりな淑女として、気の利いた返答をしたいものだけれど。
荒ぶる感情と思考がまったく制御できなくて、自分でも驚くくらい滑稽な受け答えになってしまう。
(お、落ち着くのよマリエッタ! このチャンスをモノにしなくてどうするの!?)
次、いつアベル様にお会いできるのかも分からないのだもの。
今のうちに少しでも好感度を上げて、距離を縮めなくちゃ……っ!
(け、けど、距離を縮めるってなにをすればいいの……!?)
「マリエッタ嬢は、よく、ここに来るのか?」
「へ?」
思わず間抜けな声を出してしまった私に、アベル様はふ、と優しく瞳を緩めた。
表情で伝わる。パニックになっている私を、気遣ってくれたのだ。
胸がきゅんと鳴るのを感じながら、「い、いえ」と口にする。
「本日は少し用事がありまして……。アベル様は、この時間によくお祈りに?」
「……満月の夜に、こうして秘かに訪れている。聖女の誕生は、満月の日が多いようだからな」
「満月……」
刹那、昨日のロザリーの呟きが浮かんだ。
『明日は、満月』
(ロザリーは、アベル様が満月の夜にお祈りにくるのを知っていたんだわ)
だから私を呼んでくれた。
恋しいアベル様と、会わせるために。
(ロザリー……! やっぱりあなたは優しい世界一の友達だわ……っ!)
帰ったらすぐにお礼の手紙を書かなくちゃ!
「……マリエッタ嬢は」
「はいっ!」
「聖女、ではないのか?」
「え……?」
聖女。聖女? 誰が、私が??
まさか、とたじろぎながらも、アベル様はいたって真剣でご冗談ではない様子。
私は”まさか”を期待に染めながら、目を閉じて自信の魔力を知るべく神経を研ぎ澄ます。
淡い光が自身を包む気配がする。
私は魔力の発動を止め、そっと瞼を上げた。アベル様を見上げる。
「残念ですが、私は聖女ではありませんわ。私の魔力に浄化の力はありません。あるのは、傷を癒す治癒の力のみになります」
「……そうか。失礼なことを訊ねた」
「いいえ。お力になれず、申し訳ありません。……私も」
私は視線を落として、すっかり光の失せた自身の両手を見遣る。
「私も、聖女になれたならと願うことがありますの。そうすれば、アベル様のお力に……もっとお話することを、許されますのにって」
「…………」
(って、私ったら何を言って……!?)
今更後悔しても、言ってしまったことは取り消せない。
(こんな恐れ多いこと、言うつもりなんてなかったのに!)
不思議なほどにするりと出て来てしまったのは、この場の雰囲気にのまれてしまったから?
「申し訳ありませんっ! 私ったら、なんと身の程をわきまえない発言を……! どうか、小娘の戯言とお許しくださいませ」
「いや、謝る必要はない、マリエッタ嬢。……俺も、同じことを考えていた」
「アベル様……?」
アベル様はコツリと歩を進め距離を詰めると、私の右手をそっと救い上げた。
陽の下の時のそれよりも深い青の瞳には、揺れる蝋燭のオレンジが、熱のように揺らめく。
「……願わくは、この手に聖女の加護が宿らんことを」
指先に、触れるか触れないかの。
声を発せずただ見つめるだけの私に小さく笑んで、アベル様は礼拝堂を出て言ってしまった。
残された私はひとり硬直したまま、目だけで自身の指先を見遣る。
「……、~~~~~~っ!!???」
キス、いいえ触れてはいなかっし、あれは挨拶のそれだとは分かっているけれども!!
(で、でもでもでもでもアベル様にキスを……っ!!!!!!)
「どどどどどどうしたらっ」
え? これはもう聖女として、アベル様の求めるままにお側にいるしかないわよね????
というか、ここまでしていただいて聖女になれないなんて、私が耐えられない……っ!!
私はばっと振り返って、ルザミナ様の像を見上げる。
「どうか、どうか私に聖女様のお力をお貸しくださいませ……っ!」
毎日。そう、毎日お祈りに来なくっちゃ。
そうすればルザミナ様にも私の気持ちが届いて、きっと、聖女の力も私に――。
「うーん、でも僕は、マリエッタが聖女になる必要はないと思うけどなあ」
「なにをおっしゃいますの!? アベル様にここまで求めて頂けるのでしたら、聖女でもなんでも必ず――」
勢いで振り返った先。薄闇に立つその人に、私はひゅっと喉を鳴らして固まった。
心臓がバクバクと鳴る。背に、嫌な汗が浮かぶ。
だって、おかしい。
どうして彼が、ここに。
混乱する私の心中を見透かしたように瞳を緩めて、彼――ルキウスはにっこりと。
恐ろしいほど綺麗に、ほほ笑んだ。
「迎えに来たよ、可愛い可愛いマリエッタ」