テラーノベル
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夕方の工房には、木屑と油の匂いが残っていた。
祖父のいなくなったあとも変わらない棚。変わってしまった道具の並び。何年も空いたままだった作業台の前で、ンドレスが立っている。
手には、使い込まれた雑巾があった。
掃除をしているらしいが、妙にぎこちない。
サペは戸口で少しだけ立ち止まり、それから中へ入った。
「それ、絞りすぎると破れる」
「……知ってる」
知っている顔ではなかった。
気まずさを隠せない顔だった。
しばらく二人で黙って棚を拭く。
夕日が差し込むたび、舞う埃が見える。昔は何でもない沈黙だったのに、今はその静けさの分だけ離れていた年月が見えた。
先に口を開いたのはンドレスだった。
「卒業式の日、俺、確かめもしなかった」
サペは雑巾を止める。
「おまえがエリア追いかけてくの見て、終わったと思った。工房も、おまえらの間も、俺の入る隙ないって」
ンドレスは笑おうとして失敗した。
「速く決めりゃ痛まないと思ってたんだよ」
サペはゆっくり息を吐いた。
「止められた」
「何を」
「おまえを」
言った途端、自分でも驚くほど声が低かった。
「追いかければよかった。殴ってでも、帰ってこいって言えばよかった。俺、黙ってればましになるって、ずっと思ってた」
ンドレスが目を伏せる。
「ならなかったな」
「全然」
少しだけ間があいて、二人とも吹き出した。
笑うところではないのに、笑えた。
ンドレスはその勢いのまま、深く頭を下げた。
「悪かった」
サペも、同じくらい深く頭を下げる。
「俺も」
兄弟喧嘩に似ていたものが、やっと終わる音がした。
その時、工房の外からピットマンの大声が飛んでくる。
「和解したなら手ぇ貸せー! 舞台の脚が一本足りなーい!」
台無しみたいな呼び声に、ンドレスが鼻で笑った。
「うるさ」
「戻るぞ」
サペが言う。
並んで工具袋を持ち上げる。
その動きだけは、昔とほとんど同じだった。
昔とまったく同じではない。
でも、これから同じ場所で働けるくらいには、もう離れていなかった。
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#勧善懲悪
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