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その後。 夜には夕食会が開かれ、カイルは欠席のまま三人で食事を済ませた。お茶会の席で軽食も頂いた時と同様になるのではと少しヒヤヒヤしていたのだが、神官達や使用人の出入りが多少あるためか、いたって普通の会話内容を楽しむ事が出来た。
夕食も済み、各人が部屋へと戻る。
またロシェルが来やしないかとソワソワしてしまったが、無事一人で入浴を済ます事が出来た。後で聞いた話、ロシェルは改めてイレイラに釘を刺されたらしい。『入浴時に邪魔をすると嫌われるわよ』と言われて、それは嫌だと諦めてくれたそうだ。これでもう入浴時のアクシデントは発生しないで済みそうだ。
「さて、と」
一人呟き、髪をタオルで乾かしながら客間の隣にある寝室に入る。サイドテーブルにはセナが言っていたお香が小皿の上に置かれており、このまま火をつければいいだけにしてあった。火を点ける為の魔法具も側にあったので、それをお香に近づける。丸い塊の中心に、いかにもここを押せといわんばかりの突起があったのでそれを押すと、予想通り火が出てきた。
「おぉー!」
魔法はすごいな!と一人で感心しながらピンク色のお香に火を点ける。すると、少ししてから煙がたち、部屋の中に甘い香りが漂い始めた。
「昼間に嗅いだ香りよりも、随分甘いな」
箱に全てが入った状態で嗅いだ時は、他の香りもあってか、もっと爽やかな香りが強かった。全て違う色だったので、きっとこのピンク色の香はその中でも甘いタイプの物なのだろう。
髪に少し触れ、水気が無い事を確かめてからタオルをベッドの足元に置いた。
ベッドカバーをよけて中へ入り、スプリングのよくきいたマットレスに全身を預ける。昨日も思ったが、体格のいい自分でも全然狭さを感じず横になれるこのサイズは本当に有難い。カルサールでは規格外の体格だったせいで既存の物は使い勝手が悪く、不自由する事が多かったから。——よく考えてみればカイルも自分と同じくらい身長が高かったので、此処ではこれが当たり前なのかもしれない。服も全て自分に合っていた事もそれが理由かと、一人納得した。
天蓋付きの豪華なベッドに、昨日は入る事も少し躊躇したが、流石に二日目ともなれば慣れたのか気持ちに余裕が持てる。もしかしたら、この甘いお香の香りのおかげもあるかもしれない。
(今夜はしっかり眠れそうだ……)
そう思った辺りからもう、瞼が重くなり、少しづつ意識が遠のいていき、眠りの底へと落ちていった。
——これは夢だなとわかる夢を見る事がたまにある。あまりにも非現実的過ぎるからではなく、ただ何となくわかるのだ。そして今見ている夢が正にそれだ。夢だとわかったからには、あとはこれが悪夢では無い事を願うばかりだ。
『……シド』
夜着姿のロシェルに名を呼ばれて振り返る。シュウは側におらず、そこに居たのは彼女一人だ。周囲は真っ白で何も無い。空白の空間にただ互いが存在している。
『シュウはどうしたんだ?一緒じゃないのか』
『えぇ、あの子はもう寝てしまったから置いてきたの』
『そうか……』
頷き答え、沈黙が訪れる。でも何となくそれが気不味くは無く、互いを見つめ、微笑みあった。
昼間の賛美の嵐を思い出して少し照れ臭い気持ちになったが、夢なのだしいいかとそのまま彼女の顔を見つめる。
ただじっと、シンプルだがとても綺麗な顔立ちを見ていると、初めてロシェルという存在を認識した時の事が頭に浮かんだ。『使い魔になって』と言う言葉の意味など全くわからなかったクセに、ただ可愛い少女の頼みは聞かねばと骨髄反射的に『喜んで!』と答えてしまった事を思い出して苦笑する。
突然笑う俺が気になったのか、ロシェルが不思議そうに俺の顔を下から覗き込んできた。俺の着る夜着をギュゥと掴み、首を傾げる仕草がとても愛らしい。これで成人女性だというのだから驚きだ。
『どうしたのです?何かありましたか?』
黒曜石の様に輝く瞳に引き込まれ、俺はそっとロシェルの頰を手で包んだ。夢ならこれくらいしてもいいだろう。
瞼をそっと閉じ、ロシェルが俺の手に手を重ねる。
『温かくて、大きくて、素敵ですね』
『初めて言われたな』
『シドの世界の方達は見る目が無さ過ぎです。何故貴方が未婚なのか、私にはわかりません』
ゆるゆるとロシェルが首を振る。自分の夢が彼女にこんな事を言わせているのかと思うと、アホかと思った。醜男である事は重々承知しているのに、昼間散々意味不明な賛美を言われて気が大きくなっているのかもしれない。彼女達はただ、誤って召喚してしまった俺に気を使ってくれただけだというのに。
(勘違いをして傷付くのは結局自分だ、絶対に勘違いだけはするな)
『……私をお嫁さんにしてくれませんか?』
ロシェルが突如発した一言に大声が出た。夢だというのに自分の耳まで痛くなる。号令に近い程の大きさだったせいか耳鳴りが残った。
『ご主人様のお願いが聞けないの?』
夜着を掴むロシェルの手に力が入る。グッと体も押され、俺はその勢いのまま後ろに倒れてしまった。
まずい!このまま頭からいっては思いっ切りぶつかる。咄嗟に俺は彼女を守ろうと、ロシェルの体を抱き締め衝撃に備えた。が、背後にいつのまにかベッドが出現し、俺達はそこへ倒れ込むだけで済んだ。流石夢だ、何でもアリだった。
『怪我はないか?』
無いとは思うが念の為に訊くと、ロシェルが頷いて返してくる。そもそも夢なのだ、ここまで気にする必要も無いと思うが、やはり夢だろうと主人を守らねばという気持ちが強く出る。
『良かった、主人を怪我させては使い魔失格だろうからな』
『そうですね、でも私は……シドになら何をされてもかまいませんよ?』
胸の上に乗ったままのロシェルが言った言葉に、目眩がした。
『いやいや、数ある求婚者から結婚相手を選ばねばならない君が、何を言ってるんだ』
クシャッとロシェルの髪を撫で、宥める様な声で言った。
『彼らはダメよ、彼らでは幸せになどなれないわ。本心も晒せない相手と夫婦になどなれますか?私には無理です』
首を振って、ロシェルが訴える。同じ考えに賛同しそうになったが、自分の夢なのだからとすぐ我に返った。
『私は……シドのお嫁さんになりたいの。——ダメ?』
ベッドへ押し倒された様な状態のまま、ロシェルが切なげな声で訊いてくる。
『無理だろ!生きる世界も違う君となんて』
『今は同じ世界よ?』
確かにそうなんだが、何故そんな事をロシェルが言う?いや、俺の夢だ、俺が言わせている事になるのか?あぁ、段々頭が混乱してきた。
『好きよ、シド。私の大切な使い魔……』
そう言い、ロシェルが俺の頰を両手で包み、顔を近づけてくる。何をする気だ?先がわからず瞬きも出来ずにただされるがままになっていると、今まで経験した事もない柔らかな感触が唇に重なった。
『……?』
頭が動かない。現状が理解出来ず、ただ硬直してしまい、抵抗も、これ以上を求める事も出来ずにいるとロシェルの長い黒髪が頰にかかって肌を撫でた。チュッと音をたて、ゆっくり彼女が離れていく。抵抗しなかった事に安堵したのか、俺と目が合うなりロシェルは嬉しそうに微笑んだ。
『ファーストキスね』
『……ふぁ』
(今、キスと言ったのか?誰が?誰と?あ、俺か。……俺が⁈)
一気に顔が赤くなり、慌てて口元を押さえた。拭う事まではしなかったが、何をどう反応していいのかわからず、ただ黙ってロシェルから視線を逸らした。
(待て、待ってくれ!夢は己の願望が現れると聞いた事があるが、こんな事望んだ覚えなど無いぞ?確かに、確かに彼女は可愛いし綺麗だし、幼子にしては正直む……胸もあるなとは思ってはいたが、キスをしたいとかそんな事は一切考えた事など無い!成人した女性だと知った後だってそれは同じだ。第一、仮であるにしても主人に対してそんな不埒な行為を求めるなど言語道断だ!こんな醜男に顔を近づけられなどしたら、女性など吐き気を感じるかもしれないのに、キ……キスとか有り得ないだろ‼︎)
必死に、この状況と取るべき行動を考えなければと思うのに、違う事ばかりに頭がいく。
『何を考えているのですか?シド。私とのキスは嫌でした?』
『い、嫌な訳では!』
首を振り、咄嗟に否定する。夢であろうが勘違いをされるのは不本意だった。
『良かったです』
嬉しそうに微笑んでロシェルが体を起こす。馬乗りになるような状態になり、俺の左手をそっと彼女が掴んだ。そしてその手を両手で掴み、己の方へと引き寄せた。
(今度は、何をする気だ?)
口元を右手で覆ったまま不思議に思っていると、左掌が柔らかな物を掴んだ。俺の手に重なるロシェルの両手が動き、その柔らかな物を敢えて揉ませる。
声をあげて後ろへずり下がった。この非常にマズイ状況から逃げたい一心なのに、手は離せない。もうこれは本能的にどうしょうもないのか?
ズルズルとベッドの上を逃げはしても、ロシェルの小柄な体は馬乗りのままで落ちずに体の上に居る。しかも少し呼吸を乱しながら、胸を俺に揉ませたままだった。
懇願する声が無駄に大きくなった。赤い顔に変な汗をダラダラと垂らし、ベッドの上で幼子にしか見えない女性が馬乗りになっている情けない状況なんか到底受け入れられない。だが、肝心のロシェルは俺の声など聞こえていないのか、聞く気がないのか。全く手を離そうとはせず享楽に耽っている感さえあった。
『ダメだ!嫁入り前の娘がこんな!』
こんな事を夢でさせているのは自分なのに、なんだかもうそれすらわからなくなってきた。
『シドのお嫁さんになりたいのに、問題がありますか?』
頰を薄紅色に染め、潤んだ目で問われた。もちろん 大アリだ!と思うのに、やっぱり柔らかな胸の感触からは手を離せない。離してくれないという事に甘えて本気で抵抗出来ずにいる。
(——というか、今更だが、コレ下着着てないよな⁈)
完全にパニック状態になってきた。もういっそこちらから仕掛けるべきでは?とか馬鹿な考えまで一瞬頭をよぎる。即座に否定は出来たが、かなり危なかった。
『待ってくれ!ホント、勘弁してくれぇぇ!』
——言葉での攻防戦を繰り返し、やめる事も、やめさせる事も出来ないままこのやり取りが続き、気が付いた時には夢から覚めていた。疲れはきちんと取れてはいるのだが、寝た気がしない。まだ掌に柔らかな胸の感触が残っている感じもして、横になったまま顔の前で手を開いたり閉じたりしてしまう。
分厚いカーテンの隙間から朝日が少し入ってきていて、きちんと起きた方がいいなと思った俺は体を起こし、床に足をついた。
(どんな顔でロシェルに会えばいいんだ?俺はあんな事を、主人である彼女にしたいのか?……そんな、バカな……)
苦悩しながら頭を抱えて俯いていると、寝室のドアがノックする音が聞こえてきた。
「……はい」
ドアの方へ顔をやり、返事をする。 すると慌てた様子のセナが寝室に入って来た。
「失礼します、シド様!大変申し訳ありません!」
第一声から謝罪だった。今度は何なんだ、一体。この世界に来てから謝罪されてばかりで本当に辟易してきた。
「昨夜はお香を……使われましたよね。そうですよね」
部屋の残り香で顔を青くしたセナが「あぁ……」とこぼしながら額に手を当てて俯いた。
「何かあったのか?」
「……はい。実は今朝、昨日私がお香を買った露店の店主が神殿へやって来たのです。何でも、昨日説明書きを渡し忘れていたので届けに来たとの事でした」
「説明書き?」
「色によって効果が違うらしく、ロシェル様がお使いになった青いお香は『シドやシュウと一緒に空を飛ぶ夢を見た』と、とても喜ばれていたので安心していたのですが……他の色の効果が気になって全てに目を通しましたら……」
セナが俺から視線をそらし、気まずそうな顔で俯いた。
「何だったんだ?ハッキリ教えてくれないか?」
「その……淫夢を、見せる効果があるものだったらしいです」
「い……いんむ?」
何だそれは。よくわからず、俺の表情が険しくなった。いい意味である訳が無い事だけは理解出来ている。
「その……卑猥な、夢の事です。全ては香のせいで、その夢が願望の集積という訳では無いので、その様な夢を見ても決してシド様は気に病まれないで下さい」
色々納得した。
あんな夢を見たのだ、当然だ。
だがしかし、『あの程度で淫夢とか、子供か!』とも思った。乏しい俺の性知識では頑張ってもあの程度だったという事かと思うと『三十にもなって情けない!』と益々落ち込んできた。
ベッドに上半身を倒し、顔を伏せて落ち込む俺に、セナが「申し訳ありません、知らなかったとはいえ」と何度も謝罪する。よっぽど凄い夢を見たのだと勘違いされている気がした。……実際は逆なんだが、その事を説明するのも恥ずかしい。
「……問題無い、大丈夫だから」
体を起こし、無理やり笑ってみせた。
「以後気を付けます」
自分までやってしまうとはとでも言いたげな顔で、セナが顔をしかめている。当然か、謝罪に関して昨日冗談を言ったばかりなのだから。
もうここまでくると、誰かが俺を弄って遊んでいるんじゃないかとしか思えなくなってきた。この世界の神々は遊び好きだと聞いているし、もしや……などと疑いたくもなる。確かめる術は無いが、『もう、そうなのだと割り切れ』と耳元で誰かが楽しそうに囁いた気さえした。