俺はベッドの脇に座り、眠っている彼女の頬を撫でていた。
彼女のその無防備な寝顔ですらときめいてしまうのだから、本当に彼女には勝てる気がしない。
それにしても、他の国の言語をたった一ヶ月で読み書きができるようになるなんて驚いた。
普通は一年くらいはかかるはずなんだが……。彼女は賢いんだな。
俺は彼女の頬を撫でていた手を、亜麻色の髪に滑らせた。
艶やかでやわらかくて、さわり心地がいい。
俺は彼女の髪を一房手にとり……、唇に押し当てた。
おやすみ。俺の愛しいリリアーナ。
俺は彼女の髪から手を離し、ベッドから降りると、部屋を出た。
そのまま自室に向かって歩いていると、公爵--彼女の兄とすれ違う。
「おや?」
公爵は目を丸くさせると、穏やかに微笑んだ。
「確かルウィルク君だったね?場所を変えて少し話さないかい?」
俺はたじろいだが、彼の言葉に頷いたのだった。
「……で、話って何ですか」
「リリーのことなんだけどね」
「っ!」
俺は目を見開いた。
彼はその整ったかんばせに笑みを張り付けたまま話す。
「君、リリーのことが好きなのだろう?取り返しがつかないくらいに」
俺は彼の視線から逃れた。
「……まあ」
否定はしないが。
「いつから?」
「七年前からです」
「……七年前?」
彼は少し表情を曇らせた。
「はい、七年前に彼女と一度会ったことがあって、そのときに……」
「……ほう?」
彼の目が鋭くなる。
「どうして好きになったんだい?」
「それは……」
俺は俯いた。
それは……、彼女が……。
「彼女が、俺の心を照らしてくれたからです」
彼は目を見開いた。
俺は顔を上げ、言葉を続ける。
「あの頃、俺は孤独を感じていました。けれど彼女は……、彼女だけは俺を肯定してくれました」
そう、彼女だけは、俺を認めてくれた。優しくしてくれた。それは、誰からも笑顔を向けられたことがなかった俺にとって、心が救われるものだった。心が温かくなった。それからは彼女のことだけを想って魔法の練習に打ち込んだ。彼女を守られるだけの力が欲しいと願った。彼女以外、どうでもよかった。
すると彼の見開いていた目がふっと緩み、彼は微笑みを浮かべた。
「ふふ。そうかい。それはよかった」
彼はどこかおかしそうに笑いながらも、言葉を続ける。
「実はね、一度君と話してみたかったんだ」
俺は目を見開いて、納得した。
なるほど。つまり、彼が俺を旅行に誘った一番の目的は、俺と話すためだったのか。
「実は、彼女が公爵邸に戻ってきてから、多くの貴族から彼女と将来結婚させてほしいという申し込みが何十件も来てるんだが、全て断っているんだ。彼女には内緒にしているのだけれどね」
そうなのか。……いや、まあそれもそうか。彼女は最高貴族の上、美少女で優しいのだから。
「ほら、リリーは容姿端麗だろう?あの人たちは、彼女の容姿と地位だけを見て中身を全く見てないんだ。だから、君はリリーの何を見て好きになったのか知りたくてね」
なるほど、確かにそれは兄として許せないはずだ。
「でも、今の話を聞いていたら、君はちゃんと彼女の中身を見てくれているようでほっとしたよ」
彼は嬉しそうに笑いながら言葉を続ける。
「まあ、リリーを見ていたら、事は良い方に向かっているようだから安心しなさい」
「はあ……?」
俺は彼の言葉に首を傾げた。
良い方?どういうことだ?
「さ、遅くまで残して悪かったね。もう部屋にお戻り」
彼は笑みを深め、そう言ったのだった。