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夕方の光がカーテンの隙間から差し込み、教室の中を淡く照らしていた。ノートの上に影を落としながら、蓮司は小さく言う。
「どうぞ」
ドアが開く音。
入ってきたのは、少し背の低い女子生徒だった。
視線を落としたまま、か細い声で言う。
「……人の前で、本当の自分でいられないんです」
蓮司は椅子の背にもたれ、視線を天井に逃がした。
「“本当の自分”ね。むずかしい言葉だな」
少女はうつむいたまま続ける。
「いつも笑ってるけど、それが“本当”じゃない気がして。
誰といても、どこか無理してるんです」
「無理しないで生きてる人なんて、いないよ」
蓮司の声は静かで、風のように軽かった。
「人って、誰かに見せたい顔をいくつも持ってる。
でもそれを“偽物”って呼ぶのは、ちょっと違うと思う」
少女は顔を上げ、少し戸惑ったように蓮司を見つめた。
彼は笑っているのかいないのか、わからない表情で続ける。
「たぶんさ、どの顔も“自分”なんだよ。
ただ、場所によって光の当たり方が違うだけで」
教室の窓の外では、陽がゆっくりと沈みかけていた。
少女の頬にその光が差し、わずかに柔らかな影ができる。
「……じゃあ、“素の自分”って何なんですか」
「うん。きっと、“探してる最中の顔”なんだと思う」
蓮司は立ち上がり、窓の外をちらりと見た。
「演じることをやめたくなるときってさ、
本当は“誰かにちゃんと見てほしい”って思ってる証拠だよ」
少女は静かに目を伏せた。
少しだけ肩の力が抜けて、息が深くなった気がした。
蓮司は軽く伸びをして、いつもの調子で言う。
「ま、そんなに急がなくていい。
人って案外、ゆっくりできてるから」
夕焼けが完全に沈む。
赤と金の光が交わるその一瞬だけ、教室は静かに輝いていた。