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44 - 第44話 学校に行く理由が、もう分からない

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2025年11月13日

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その日は、雨が降っていた。

冷たい匂いが漂う放課後の廊下を抜けて、遥は相談室のドアを開けた。

湿った空気の中に、誰かの気配があった。


窓際の椅子に、ひとりの少女が座っていた。

制服の袖口を強く握りしめ、視線は床に落ちたまま動かない。

傘を持っていないのか、髪の先が少し濡れて光っていた。


「……先生には言えなくて」


その声は、雨の音よりも小さかった。


遥は頷き、椅子を少し引いて向かい合う。

彼女は言葉を探すように唇を動かし、やがてぽつりとこぼした。


「学校に行く理由が、もう分からないんです」


その一言で、空気が揺れた。

窓の外の雨が、一瞬だけ静まったように思えた。


「行っても、苦しいばかりで。

でも休むと、罪悪感が残るんです。

朝、制服を見た瞬間に、体が止まって……。

“行かなきゃ”って分かってるのに、足が動かない」


彼女の指先は、机の上でかすかに震えていた。

遥は言葉を挟まない。ただ、その震えを見つめていた。


「“なんで行かないの?”って聞かれるたびに、答えられなくて。

だって、理由なんてないんです。ただ苦しいだけで。

それを説明しても、誰も分かってくれなくて……」


喉の奥で、押し殺すような息が漏れた。

遥はゆっくりと椅子にもたれかかり、目線を合わせた。


「理由がない苦しみって、一番重いよね」


その声は、驚くほど穏やかだった。

慰めでもなく、正論でもない。ただ寄り添う響きだった。


「“どうして行けないの?”って言われても、

本当は、“行かなきゃいけない”理由のほうが、もう分からなくなってるだけなんだと思う」


少女は、はっと顔を上げた。


「……行かなきゃいけない理由、ですか」


「うん。

“将来のため”とか“出席日数”とか、そういう言葉が並ぶけど、

それって誰かに言われた理由で、自分のじゃないんだよ。

自分の中の理由が見えなくなったとき、人は動けなくなる。

それは怠けじゃなくて、疲れなんだ」


言葉の重さが、静かに部屋に落ちていった。

雨音がまた強くなり、窓ガラスを細かく叩く。


「でも……行かないと、怖いんです。

また遅れて、また置いてかれて、みんなに変な目で見られて。

それを想像するだけで、息が苦しくなる」


遥は少しだけ目を細めた。

その表情には、どこか痛みのような共鳴があった。


「怖くて当然だよ。

みんな同じように生きてるように見えても、

本当は、朝の数分間を戦ってる人がたくさんいる。

布団から出るのに、全力を使ってる人だって」


彼女の瞳が、わずかに揺れた。

涙ではなく、少しだけ光を取り戻すように。


「……それでも、どうしたらいいか分かりません」


「分からなくていい」


遥ははっきりと言った。


「分からないままでも、立ち止まってるおまえを、ちゃんと見てくれる誰かがいる。

だから、今日は“休む”を選んでいい。

行くための理由を探す前に、休むための理由を作ってもいいと思う」


少女は、息を呑んだ。

その言葉を、まるで初めて聞く真実のように受け取っていた。


しばらくして、彼女は小さく笑った。


「……少し、楽になった気がします」


その笑みは、壊れやすい硝子みたいだったけれど、確かにあった。


扉が閉まり、雨の音だけが残る。

遥は窓の外を見つめた。

灰色の空の向こうに、薄く光る境界線が見えた気がした。

その向こうに“明日”があるかは分からない。

それでも、今この瞬間だけは、確かに息をしている――

それが、生きる理由のすべてなのかもしれない。



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