テラーノベル
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夕方、ズジは印刷所の裏口でゼフィレルを待っていた。
呼び出したのはズジの方だ。
逃げるかもしれないと思っていたが、ゼフィレルは来た。薄いコートの襟を立て、まだ迷っている顔で。
「五分だけ」
ゼフィレルはそう言った。
「それ以上は、たぶん無理」
ズジは頷き、刷り上がった紙束を一枚差し出した。
そこには、眩しい箱が配った宣伝文句が載っている。
新しい未来へ。
誰も取り残さない街へ。
夢を手の中へ。
綺麗な言葉ばかりだった。
「あなたが書いたんでしょ」
ズジが聞く。
ゼフィレルは、少し黙ってから答える。
「半分は」
「半分でも十分」
ズジは紙を折った。
「この言葉の下で、何軒の店が安く飲まれたか知ってる?」
ゼフィレルの視線が揺れる。
「知らないわけじゃない」
「知らないふりはしてた」
沈黙。
印刷機の音が、奥で一定の調子を刻んでいる。
ズジは声を荒げなかった。
怒鳴れば楽だが、それではたぶん届かない相手だと分かっていた。
「言葉ってさ、逃げる場所にもなるんだよ」
ズジは静かに言う。
「私はただ書いただけ。決めたのは別の人。そうやって隠れられる」
ゼフィレルが顔をしかめる。
「でも同時に、言葉は凶器にもなる。綺麗に包めば、中に何が入ってるか見えなくできるから」
ゼフィレルは小さく息を吸う。
「……あなた、嫌な言い方する」
「仕事だから」
ズジはあっさり返す。
「でも本当のことしか言ってない」
長い沈黙のあと、ゼフィレルが壁にもたれた。
「最初は、もっとましなことをするつもりだった」
「みんなそう言う」
「そうでしょうね」
皮肉に、皮肉が重なる。
けれど、そのやり取りの最後で、ゼフィレルはとうとう目を伏せた。
「町の秘密を暴く舞台を、明日の夜やる」
「知ってる」
「脚本の最後に、相談記録を読み上げる場面がある」
ズジの表情が変わる。
「誰が書いたの」
「骨組みはアイナグル。煽り文句はチョム。私は、客が拍手したくなる言い回しを整えた」
ゼフィレルはそこで唇を噛んだ。
「最悪でしょ」
ズジは答えなかった。
答えなくても十分だった。
「……資料室の鍵を開ける時間だけなら作れる」
ゼフィレルが絞り出す。
「その先は、自分でやって」
ズジは頷く。
「十分」
ゼフィレルは帰り際、振り向かずに言った。
「言葉は、隠れ場所にも凶器にもなる」
「うん」
「だったらせめて、最後くらい、盾になる方へ回りたい」
コートの裾が夜へ消える。
ズジは折った紙を開き、印刷された綺麗な言葉を見た。
同じ言葉でも、向ける先で意味は変わる。
なら次は、守る方へ向けて書く番だった。
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#勧善懲悪
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