詩帆はアパートに戻ると、慌てて髪とメイクを直した。
そしてバッグを手にするとすぐにアパートの下まで降りて行く。
しばらくすると涼平の車が詩帆の前に到着した。
詩帆は助手席に乗り込みながら、涼平の様子がいつもとは違うように感じていた。
何かあったのだろうか?
しかし詩帆には全く見当がつかなかった。
「今日はどこに行くのですか?」
「今日は西の方へ行ってみようか。星空がいっぱい見える場所があるんだ」
「うわぁ、楽しみ!」
詩帆は嬉しそうに言う。
それから二人の乗った車は西へ向かって国道を進んで行った。
車は茅ケ崎を過ぎ、大磯を過ぎて快適に進んで行く。
涼平はハンドルを握りながら詩帆に言った。
「実はさっきカフェの前を通ったんだ。その時、詩帆ちゃんが男性と話しているのを見かけたんだけれどあの人は?」
詩帆はびっくりする。
まさかあの状況を見られているとは思わなかったからだ。
「あそこにいたのですね」
そう呟くと、詩帆は話し始めた。
あの男性は西田と言って詩帆が大学時代の講師で、今は准教授をしている事。
たまたま西田がこの近くの大学に来た際偶然カフェで再会した事、そして今日も店に来ていた事。
イラストレーターをしている西田は学生達の間からは憧れの存在で、詩帆もそのうちの一人だった事。
しかし当時西田は石田という学生と密かに交際し、二人は卒業と同時に結婚したという事も話した。
そして今日西田に話があるからと呼び出され、付き合って欲しいと言われた事も正直に涼平に話した。
もちろん西田は結婚して一年で離婚していたという事実も伝えた。
そして詩帆は西田の事を何とも思っていなかったのできちんと断ったという事も涼平に話した。
その際、詩帆が西田に話した涼平への思いについては一切触れなかった。
そんな所が詩帆らしいなと涼平は心の中で思う。
「その先生は、昨日君がカフェで話していた人だよね?」
「そうです。あ、そう言えばあの時夏樹さんもいましたね」
「うん。二人が仲良さそうに話していたからずっとやきもきしてた」
涼平から思いがけない言葉を聞いたので詩帆はびっくりする。
そして涼平の様子がなんとなくおかしかった意味がわかったような気がした。
詩帆は優しい微笑みを浮かべると、涼平に聞いた。
「それって、やきもち?」
「うん」
涼平があまりにも素直に答えたので詩帆はクスクスと笑った。
そして涼平に言う。
「私の彼氏は夏樹さんですよ。心配する事は何もないです」
詩帆がきっぱりと言ったので、涼平はただ
「うん」
と頷く。
あまりにも元気がない涼平を心配した詩帆は、
「今日はどうしたんですか? いつもの元気がないみたい……」
そう言いながら運転席の方を見ると、涼平は目を赤くして泣いていた。
詩帆は泣いている涼平を見てびっくりした。
それと同時に、涼平の今の気持ちが痛いほど伝わってきた。
この人は『恋人を失う』事をとても恐れているのだ。
それが交通事故であれなんであれ理由なんてどうでもよくて、とにかく恋人が自分の前からいなくなるという恐怖に怯えていたのだ。彼が過去に経験した喪失感は今もトラウマとなり彼の中に残っている…詩帆はそう確信した。
普段明るく元気にふるまっていても、心の奥底には常にとてつもない恐怖と悲しみが渦巻いている。
詩帆が常に涼平から感じていた寂しさのようなものはこれが原因だろう。
その辛さを彼は今まで隠して生きて来た。
誰にもその苦しみを打ち明けられずに今日まで生きてきたのだ。
詩帆は自分も同じ苦しみを味わってきたので、涼平の胸の内が全部透けて見えるようだった。
彼が六年間、本気の恋が出来なかったのもきっとこのせいだろう。
恋人を失う恐怖から逃れる為に、あえて浅い付き合いばかりを繰り返してきたのだ。
詩帆はそんな涼平の思いを知り、激しく胸が痛んだ。
今、抱き締めてあげられるのならギュッと抱き締めてあげたい。
詩帆はそんな事を考えている自分に驚く。
自分の中に潜む母性のようなものが、そんな思いにさせているのかもしれない。
それから詩帆は、アームレストに置いていた涼平の左手をそっと握った。
涼平が驚いて詩帆の顔を見たので、詩帆は穏やかな声で言った。
「私はどこにも行きませんから。ずっと一緒にいます。だから安心して下さい」
詩帆の言葉を聞いた涼平は、急に緊張感の解けた表情になると、
「ありがとう」
と言った。
そして詩帆の手を強く握り返す。
その時カーラジオからは、人気グループの『stay with me』という切ない曲が流れ始めた。
コメント
3件
私の中でstay with meの歌はGD×TAEYANGです! 詩帆ちゃんなら涼平さんと支え合って生きていけると思います!
大切な人を失う悲しみ....詩帆ちゃんには 涼平さんの気持ちが痛いほど分かり、そしてこれからもずっと彼の傍に寄り添っていきたい....という静かな覚悟を感じます🍀✨ あぁ....😢Stay With Me の美しくも切ないメロディーが心に染みます😭
詩帆ちゃんの涼平さんへの深い愛❤️が伝わったかな⁉️🤭💕 詩帆ちゃんも涼平さんも同じ辛い思いをしてきて愛する人が自分の元からいなくなる残酷な現実を目の当たりにしたトラウマに縛られてた事がわかったんだね。 それを詩帆ちゃんは受け止めて言葉で伝える詩帆ちゃんがスゴイ😄👍 想いだけでは伝わらない、しっかり言葉で表していかないとね😊👏✨