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59話 声をかけない機械
朝の空気は、少しだけ冷たい。
団地の廊下を歩くと、
床の石が足裏にひんやり伝わる。
リカは肩までの髪をまとめ、
少し大きめの上着を羽織っていた。
袖口は擦れて柔らかくなっている。
背中の布は、洗いすぎて少し薄い。
玄関で立ち止まり、
キーホルダーを指で探る。
六角形のスポットフォンは、
鉄鋼の重みがはっきりある。
角は丸く、
何度も落とした跡が小さな傷になって残っている。
数字板は沈黙したまま。
押さなければ、
何も起きない。
声をかけても、
返事はない。
リカはそれを不思議だと思わない。
そういうものだと、
最初から知っている。
数字を一つずつ押す。
指先に、軽い反発。
その瞬間だけ、
石の中を音が通る。
耳元で、
おかあさんの声が聞こえる。
少し低くて、
朝はいつもゆっくりした調子。
切ると、
また沈黙。
スポットフォンは、
何も覚えていない顔をしている。
学校へ行く時間だ。
四次元装置の前に立つと、
制服の裾がわずかに揺れる。
靴は底がすり減って、
歩き方の癖が残っている。
番号を押す。
音も光も、
派手なものはない。
切り替わり。
校舎の前に立っている。
同じ時間に来た子が、
横を通り過ぎる。
背中に大きなかばん。
髪は短く、
少し跳ねている。
誰も、
機械に話しかけない。
誰も、
呼びかけない。
操作しないと、
何も起きない。
それが当たり前だと、
リカは思っている。
だから、
迷わない。
選ぶのは、
いつも人だ。
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由天。