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日下部の手が、まだ遥の肩に残っていた。力は抜けているのに、離れようとしない。
その温度が、遥の心臓の奥をかき混ぜる。
「……追うって、そんなこと言うなよ」
声が震える。
「そんなこと言われたら、もう逃げられなくなる」
「逃げなくていいだろ」
日下部の声は低く、しかしどこか壊れたように柔らかい。
「……俺は、おまえに怒ってる。勝手に遠ざかって、何も言わねぇで。
でも、それ以上に、寂しくて、どうしていいか分かんなくて……」
言葉が途切れる。
次の瞬間、机が弾かれる音。
日下部は拳を机に叩きつけた。
反射的に遥が身をすくめる。
「っ、痛ぇ……」
拳から血が滲む。
それを見た瞬間、遥は思わず駆け寄った。
「やめろよ、そんなの……」
「おまえが言わせたんだ」
日下部の目が、痛みと焦燥で濁っていた。
「何で、何も話してくれねぇんだよ。俺を信じてねぇのか?」
「違う……違うんだ」
遥の声も涙に濡れていく。
「信じてる。でも、信じたら……全部崩れる気がして。
怜央菜も、沙耶香も、颯馬も、晃司も──誰も、もう……俺を見なくなる気がして」
「そんなの、もうとっくに壊れてるじゃねぇか」
日下部が息を荒げながら言う。
「家の中でどうなってるか、知ってる。
おまえが傷ついてんのも、見てきた。
それでも何もできねぇ俺のほうが、よっぽどクズだろ」
その瞬間、遥の中で何かが崩れた。
泣くまいとしていた涙が、頬を伝う。
日下部はその涙を見つめたまま、拳を下ろした。
「……それでもいい。おまえが俺を避けても、嫌いになっても。
もう、黙って見てるのはやめる」
沈黙の中、夕陽の名残が二人の間に残る。
遥は唇を噛んで、震える声を押し出した。
「……ほんとに、俺なんかを……守る気、あんの?」
「ある」
即答だった。
その声は、怒りでも哀しみでもなく、決意そのものだった。
教室の窓が、風で軋む。
沈みきった夕陽の代わりに、街灯の明かりが淡く射す。
遥の胸の奥で、ようやく長く閉ざされていた何かが軋みながら動き出す。