📩 相談
高校一年生・仮名:Mさん
話しているとき、つい相手の顔色ばかり見てしまいます。
“うざい”とか“つまらない”って思われてないか、
頭の中でずっと確認してしまって……。
楽しそうに話したいのに、会話が終わるたびにどっと疲れるんです。
遥
「……それ、オレもよくやってた。
“相手の反応”を読むのがクセになると、
自分の言葉より“どう思われたか”の方が大事になっちゃうんだよな。
本当は、ちゃんと相手を大切にしたいだけなのに」
蓮司
「“顔色を気にする”って、悪いことじゃない。
相手の気持ちに敏感でいられるのは、立派な優しさだよ。
ただ、それが“自分を責める材料”になっちゃうと、苦しくなる。
気づける分だけ、少し自分にも優しくしてほしい」
日下部
「……人の表情って、いつも本音を表してるわけじゃない。
相手が考え事をしてただけでも、“嫌われたかも”って思ってしまうことがある。
でもね、それはMさんが“関係を壊したくない”って思ってる証拠なんだ。
その気持ち自体が、すでにすごくあたたかいことだと思う」
遥
「オレも、“うざがられたくない”って思いすぎて
言葉を選びすぎる時あるけど、
その“選ぼうとする時間”こそ、もう優しさなんだと思う。
人の心を考えながら話せる人なんて、そう多くないよ」
蓮司
「“気をつかいすぎる”のは、自分の居場所を探してる証。
でも、“好かれよう”じゃなくて“伝わるといいな”に変えられたら、
もう少し楽に話せるようになる」
日下部
「……完璧に話そうとしなくていい。
たとえ沈黙ができても、“一緒にいよう”と思ってくれる人はいる。
その人の前では、顔色じゃなく“空気”で話していいんだよ」
🗝 三人からのことば
遥:「“気をつかう”のは、相手を思いやる力。その優しさを、少しだけ自分にも向けて」
蓮司:「“どう思われるか”より、“何を伝えたいか”を大事に。そこに君の声がある」
日下部:「顔色よりも心の色を見よう。誰かに怯えない言葉こそ、本当の君の声だ」
──気づきすぎる優しさが、君を疲れさせているだけ。







