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その晩、自室へ戻ったディアビレは、机の上にフィルムケースを置いたまま、長いこと動けなかった。
狭い部屋だ。ベッド、古い箪笥、小さな鏡。必要な物はある。けれど、壁だけが妙に空いている。絵も写真も一枚もない。
昔は違った。母が笑っている写真も、父が海辺で手を振っている写真も、たしかにあった。幼い自分が真ん中で歯の抜けた笑い方をしていたはずだ。けれど両親が亡くなったあと、いつの間にか全部消えた。
ノックもなく扉が少し開き、セルマが顔を出した。
「まだ起きていたの」
「ええ」
「余計な物を増やさないでちょうだい。部屋は清潔が一番よ」
その言い方に、ディアビレは思い切って聞いた。
「昔、ここにあった写真、どこへやったんですか」
セルマは一拍だけ黙り、それから薄く笑った。
「いつまでも昔に縋っても仕方ないでしょう。働く人間に飾りは要らないわ」
それだけ言って扉を閉める。答えであって、答えではなかった。けれど十分だった。処分したのだ。あの人が。
しばらくして、今度は控えめなノックがした。開けるとジナウタスが立っている。手には夜食の小さな皿があった。
「食ってないだろ」
部屋に入った彼は、壁を見て、少し目を細めた。
「何もない部屋だな」
「……写真があったんです。前は。でも、なくなりました」
自分でも驚くほど素直に言葉が出た。ジナウタスは皿を机に置き、フィルムケースへ視線を落とす。
「取り戻せる」
「写真が?」
「写真も、おまえの知るべきことも」
断言する声だった。慰めではなく、静かな確信に近い。
ディアビレはその言葉を胸の中で何度も転がした。空っぽの壁が、少しだけ未来の余白に見えた。
風宮 むぅまろ🦇🍀︎ 🍬🍚
#海辺の町