目的地へはタクシーを使うらしい。私が化粧などに悪戦苦闘している間に司さんが電話で来るように頼んでいてくれていたので、タクシーにはすぐに乗る事が出来た。行き先は運転手さんにメモを渡して指示をし、『どこに行くんですか?』と訊く私の問いには『秘密』と微笑むばかりで、行き先は教えてもらえなかった。
行き先不明のまま、タクシーに揺られる事数十分。段々と、見た事のある景色が窓の外を流れていく事に、私は気が付いた。
(…… あのお店まだあるんだ、今度行ってみようかな。——そこの角を曲がると、駅前に出るんだよね)
そんな事を考えながら私がじぃーと外を見詰めていると、司さんが私の傍に近づき、「もしかして、もう分かってきたか?」と訊いてきた。
「ここら辺は結構よく来る場所なので、土地勘はありますけど…… 知ってる場所が多過ぎて、逆に目的地までは見当が着きませんね」
「よかった。本当だったら、目隠しして連れて行きたいところだからな」
「そんな事したら、運転手さんに変な顔されちゃいますよ?」
「そうだな。変な趣味のカップルが乗ってきたとか思われたら、恥ずかしいからな」
笑顔を浮かべ、小声で言った私の言葉に、司さんも楽しそうな表情で答えてくれた。
「あのお店、輸入品の食材が多くて見てるだけでも面白いんですよ」だとか、「今度あそこの公園に一緒に行ってみませんか?散歩するにはいい場所なんです」などと、外を見ながら話していると、運転手さんが「もうすぐで着きますよ」と私達に向かい声を掛けてきた。
「あ、はい」と返事をし、司さんが鞄から財布を取り出す。相変わらず外ばかり見ていた私の目の前に見えてきた目的地は、私がもっとも憧れを抱いている場所で、言葉が出なかった。
無言で窓に手を当て、私が外を見ていると、タクシーはその場所の入り口に向かってどんどん進んで行く。駐車場を通り過ぎ、建物の正面に向かうと、大きな正面入り口前でタクシーが止まる。
軽く後ろを向き、「着きましたよ」と告げる運転手さんに料金を払う。
料金の支払いが終わると、タクシーの自動ドアが開き、司さんが先に車から降りた。軽く腰を折り、「さあどうぞ」と言いながら、司さんがタクシーの車内に座る私に向かい手を差し出してくれる。
「ありがとうございます」
お礼を言い、司さんの手を掴む。長めのスカートの裾を少し持ち上げ、私はゆっくりとタクシーから降りて建物の正面入り口に立つ。
「ここの事…… 何故、知ってるんです?」
私はすぐに、司さんに向かって尋ねた。
「有名な場所だからね、もちろん知ってる」
「いえ、そうじゃなくって…… 」
「あぁ、そういう意味か。——此処は、俺の人生で一番の、思い出の場所なんだ」
「そうなんですか…… 」
すごい偶然もあるものだと思いながらそう言うと、司さんが少し苦笑いをした。
(どうしたんだろう?もしかして、その思い出には私の欠落した部分が関係しているんだろうか?)
気になり、「あの——」と声をかけようとした途端、司さんの顔がひどく驚きに満ちた青い色になった。
「え?」
慌てて司さんの視線の先を見ると、そこには、このホテルのドアボーイと思われる一人の男性の姿があった。金髪に眼鏡を掛け、品のある紳士的な雰囲気がやけに目立ち、人目を引いている。
「…… お知り合いですか?」
そう訊きはしたが、二人の表情の差の激しさのせいで関係が読み取れない。
「気にしないで行こう、時間が勿体無い」
答えにならぬ返答をし、私の腕を掴むと、司さんが速い足取りで入り口のドアに突き進んで行く。すると、入り口前に立つ金髪の紳士的な雰囲気の男性が私達に向かい軽く微笑み、会釈をし、「ようこそ、ホテルカミーリャへ」と言いながら、ホテルへと続く大きなガラス扉を開けてくれた。
そんな彼の横を、無言で素通りする司さんと、彼に子供みたいに引っ張られている私。ズンズンと、金髪紳士風の彼を無視して、司さんと共に前へと突き進む。
「い、いいんですか?今の方お知り合いなんじゃ?何か一言でもお話していった方が…… 」
「暇つぶしに付き合う為に来た訳じゃないから、今はいい」
後ろから声を掛けた私に、司さんが不機嫌そうな声で答えた。
「アイツも仕事のついでに見に来ただけで、俺と話がしたかった訳じゃない。関わると面倒なヤツだから無視するに限る」
「そうなんですか?…… 司さんが、いいのなら私はいいんですけど…… 」
納得はしていないが、間に入ってどうこうするのも変かなと思い諦める。
「どうせ、お気に入りだった君の、現在の様子が気になっただけだろうよ」
「私が…… あの人の『お気に入り』?何の事です?」
「もう行こう、エレベーターもすぐ来るみたいだから」
エレベーターの並ぶ方へと司さんが私の腕を引っ張って行く。
「あ、はい」
彼に引かれるまま着いて行ったが、結局私の問いには答えてはもらえなかった。
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