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夜のベンチ。街の灯りが遠くに瞬く。風は冷たく、遥の指先はかじかんでいた。
 日下部の声がまだ耳の奥に残っている。
 「最低かどうかなんて俺が決める」
 ――そう言ってくれた。
なのに胸の奥で疼くのは「信じちゃダメだ」という叫びだった。
 喉の奥に、鉄の味が蘇る。記憶が勝手に立ち上がってきた。
 ――中学のある日。
教室の隅で「一緒に帰ろうぜ」と声をかけられた。初めてだった。
心臓がはねた。やっと、やっと、自分にも「友達」ができるのかもしれないと思った。
駅前のファストフードで、同じ机を囲み、笑って。
ポテトを分け合ったとき、胸が温かくなった。
その夜、布団の中で「楽しかったな」ってつぶやいた自分を、今も覚えている。
 翌日、廊下に呼び出された。
 「なあ遥、昨日のことさ、秘密にしてくれるよな?」
 意味がわからず笑った。
次の瞬間、背中を壁に押しつけられた。
 「友達だろ? だったら黙ってろよ」
 気づけば財布を抜かれていた。
 「ほら、信じたからだ。ちょろい」
 笑い声が耳に残る。
 教室に戻れば、何事もなかったみたいに皆が笑っている。
 「おまえの席、もうないから」
 机をどかされ、教科書を破られた。
 「昨日、仲良くしてやっただけありがたく思えよ」
 ――友達の「フリ」だった。
そのことを知った瞬間、胃の中のものを吐きそうになった。
 「信じたおまえが悪い」
 その言葉が、心の奥に杭のように突き刺さった。
 家に帰れば兄の声が待っていた。
 「おまえ、学校で浮いてんだってな」
 優しい調子の裏に、手の平が飛んでくる。
 「俺だけ信じとけよ。他のやつは全部嘘だから」
 そう言いながら肩を掴まれた。逃げ場はどこにもなかった。
 ――信じた瞬間に裏切られる。
――信じた瞬間に支配される。
 だから、日下部の言葉さえ信じてはいけない。
わかってる。なのに、胸の奥が勝手に揺れる。
 ベンチの横で日下部が煙のような吐息をもらす。
 「……俺さ、正直言うと、怖えんだよ」
 いつも冷静なその声が、不意に揺れていた。
遥の心臓が跳ねる。
 「おまえをどうやって支えりゃいいのか、わからなくなる。間違えたら、もっと傷つけるんじゃないかって」
 吐き出される弱音に、遥は呼吸が止まった。
 「俺は、おまえのこと選ぶって言ったけど……それで本当に足りてんのか?」
 視線を落とした日下部の横顔に、責める色はない。ただ自分を問い詰めているだけだった。
 遥は膝を抱えたまま、唇を噛む。
――試すことしかできない自分。
――信じたいのに信じられない自分。
その全てが嫌で、汚くて、壊れている。
 「……おれ、ほんとは、信じたかったんだよ」
 言葉が漏れた瞬間、胸が痛んだ。
 「でもさ、信じたとたん、壊されたんだ。何回も。友達のフリも、兄貴の優しさも。……信じたら終わるって、そう刻まれてんだよ」
 沈黙の中、日下部の目が遥を捕らえる。逃げ場がなかった。
 「だから……おまえが言うことも、嬉しいのに、信じたらおれが馬鹿みたいにまた壊れるんじゃないかって……怖いんだよ」
 喉がひび割れる。声が震える。
言葉にしてしまった自分が、もっと壊れそうで。
 日下部はすぐには答えなかった。けれど、膝を抱えた遥の手の上に、そっと自分の手を重ねた。
強くも弱くもない、ただ確かにそこにある体温。
 「……壊れてもいい。何回だって、拾う」
 低く落ちる声は、強がりに聞こえなかった。
それが余計に、遥を追い詰める。
 涙がにじむ。信じたいのに、信じられない。
その矛盾が、胸を裂いていった。