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#魔王
青空美空
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Misia
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うわっ、めっちゃ良かった…!😭✨ 第6話で研修回かと思いきや、磁馬の“落とし物”を通して回収員の基礎が全部詰まってたね。五本の指(観察・待機・介入判断・記憶処理・本人の時間を尊重)のところ、ガチで刺さったわ。あと二十三が「団子」「犬との競争で磁馬が勝った」って真顔で言うシーン、思わず笑った。最後の未確定事例がまさかその日に埋まるところで終わる余韻がたまらん…次どうなるか気になりすぎる🔥
第6話 落とし物画家
新人研修の日だった。
三百二十は、少し早く研修室へ来ていた。
机はきれいに並んでいる。
椅子も同じ向きにそろっている。
壁には時代整理局の印が小さく掲げられていた。
扉の横には、今日の研修内容が表示されるはずの板がある。
まだ何も出ていない。
三百二十は一番前の席には座らなかった。
かといって一番後ろにも行かなかった。
前から二列目。
右から三番目。
そこに座った。
机の上には筆記具。
記録札。
簡易封印袋。
研修用の時代識別紙。
三百二十はそれらをひとつずつ確認した。
確認しなくてもそろっている。
それでも確認した。
回収員になってから、物の場所を確かめる癖が強くなった気がする。
落とす前に、あるかを見る。
失くす前に、そこにあることを覚える。
そう考えた瞬間、三百二十は磁馬の顔を思い出した。
江戸の橋下で筆を探していた姿。
未来市場で小銭袋を探していた姿。
未来駅でスケッチ帳を探していた姿。
いつも困っている。
けれど、いつも探し続ける。
そして最後には、あった、と言う。
三百二十は小さく息を吐いた。
今日の研修は、正式な新人研修だった。
回収員としての基礎。
時代異物の分類。
緊急回収時の動き。
目撃者対応。
時代識別紙の応用。
そういうものを想像していた。
扉が開いた。
新人たちが少しずつ入ってくる。
番号で呼ばれる者たち。
三百二十より後に入局した者もいれば、別支部から一時的に来た者もいる。
みんな灰色や茶色の上着を着て、同じように緊張した顔をしていた。
「ここ、合ってるよね」
「新人研修室って書いてあった」
「今日は危険物対応だって聞いたけど」
「私は記憶処理の基礎って聞いた」
「どっちなの」
三百二十は黙って聞いていた。
誰も正確には知らないらしい。
やがて、十八が入ってきた。
茶色の長い外套。
後ろで軽くまとめた髪。
腰の記録筒。
いつもの落ち着いた足取り。
その後ろに、百七がいた。
深い茶色の上着。
灰色の手袋。
背筋の伸びた姿。
研修室の空気が少し変わった。
さらに五十二が入ってきた。
静かな足取り。
灰色の長い上着。
腰の記憶具。
最後に、二百九十が腕章を揺らしながら入ってきた。
モカ色の作業上着。
黄緑の腕章。
表情が明るい。
三百二十は目を丸くした。
十八だけではない。
百七もいる。
五十二もいる。
二百九十もいる。
新人研修にしては、講師が重い。
十八が前に立った。
「全員そろったな」
新人たちは背筋を伸ばした。
「今日の研修は、時代異物回収の基本だ」
三百二十は少しほっとした。
やはり基礎研修だ。
十八は記録筒から資料を取り出した。
束になっている。
かなり厚い。
それを前の机に置いた。
どん、と音がした。
新人たちの目が集まる。
十八は一番上の資料を持ち上げた。
そこには大きな文字で、こう書かれていた。
磁馬事例集
研修室が止まった。
三百二十も止まった。
誰かが小さく言った。
「磁馬?」
別の新人が言った。
「画家の?」
また別の新人が言った。
「落とし物の?」
二百九十が笑いをこらえている。
五十二は静かにしている。
百七は表情を変えない。
十八は資料を新人たちへ配った。
三百二十の机にも一冊置かれる。
表紙は厚い。
角に細かい傷がある。
何度も開かれた資料なのだとわかる。
磁馬事例集
新人回収員必読
時代整理局研修課
三百二十は表紙を見つめた。
「質問はあとで受ける」
十八が言った。
「まず開け」
新人たちは資料を開いた。
最初のページには、磁馬の簡単な記録があった。
時代旅行者。
職業、画家。
回収対象ではない。
敵対対象ではない。
接触は必要最小限。
ただし、周辺確認を必ず行うこと。
その下に、太い文字で書かれていた。
磁馬を見かけたら周辺を捜索しろ。
三百二十は、もう何度も聞いた内規を見た。
でも、資料で見ると、また別の重さがあった。
十八が言った。
「この内規は冗談ではない」
新人たちが背筋を伸ばす。
「磁馬は時代を旅する。旅の途中で絵を描く。人と話す。食べる。歩く。そして、落とす」
二百九十が小さくうなずいた。
「よく落とす」
十八が横目で見た。
二百九十は口を閉じた。
「磁馬の落とし物は、必ずしも時代異物ではない。本人の私物であり、回収対象外の場合も多い」
十八は資料をめくった。
「だが、その周辺では時代異物が見つかる可能性が高い」
三百二十は顔を上げた。
「磁馬本人が異物を落とすこともある。別の時代の旅人が磁馬に近づくこともある。磁馬が人を集め、その人混みに異物が紛れることもある。磁馬の絵を見ようとして、目撃者が増えることもある」
十八の声は淡々としていた。
「つまり、磁馬案件は単なる落とし物ではない。現場観察の教材として非常に優れている」
新人の一人が、恐る恐る手を上げた。
「つまり、今日は磁馬さんの失敗例を学ぶんですか」
十八は少し黙った。
「失敗例ではない」
百七が低く言った。
「回収員側の確認例だ」
新人はすぐに手を下ろした。
十八が最初の札を表示した。
事例一。
江戸の橋下。
筆一本。
未来端末一件。
三百二十は息を止めた。
自分の初任務だった。
壁に薄い映像が浮かぶ。
江戸の橋。
川。
子どもたち。
橋の下に落ちていた未来端末。
そして、少し離れたところで何かを探している磁馬。
十八が言った。
「この事例では、新人番号三百二十が初動補助に入った」
いくつかの視線が三百二十に向いた。
三百二十は背筋を伸ばした。
「未来端末は子どもが拾得。回収完了。記憶処理不要。その後、磁馬が筆を落としていたことが判明」
映像の中で、磁馬が橋の上を探している。
石の間。
草の根元。
橋の柱。
「この時、重要なのは何か」
十八が聞いた。
新人たちは資料を見る。
誰もすぐには答えない。
三百二十は迷った。
自分が答えていいのか。
十八が三百二十を見た。
「三百二十」
「はい」
「答えろ」
三百二十は立ち上がった。
「回収対象と、磁馬の落とし物を分けて見ることです」
十八はうなずいた。
「続けろ」
「未来端末は回収対象でした。でも筆は磁馬さんの私物で、本人が探していました。すぐに拾うのではなく、本人が見つけるかを確認しました」
「結果は」
「本人回収確認」
百七が静かにうなずいた。
新人たちが資料に書きこむ。
三百二十は座った。
手のひらが少し汗ばんでいた。
十八は次の札を出した。
事例二。
未来市場。
小銭袋。
屋台車輪接近。
壁の映像が変わる。
未来市場。
光の噴水。
磁馬が絵を描いている。
腰から小銭袋が落ちる。
ころりと転がる。
屋台の車輪の近くで止まる。
「この事例では、落とし物が破損する可能性があった」
十八が言う。
「三百二十は屋台を止めた。だが、小銭袋には触れていない」
新人の一人が言った。
「触らない方がいいんですか」
百七が答えた。
「場合による」
「この場合は?」
「本人が近くにいて、落とし物を認識していた。回収員が触れば、本人回収ではなくなる」
「それは問題ですか」
百七は少し考えた。
「問題というより、磁馬の流れが変わる」
新人は首をかしげた。
五十二が静かに言った。
「記憶と同じ。物には、持ち主とのつながりがある。必要以上に別の手を入れると、その人の中に残る感触が変わることがある」
研修室が静かになった。
三百二十は未来市場での磁馬の言葉を思い出した。
持ち主の手から離れたら、きっと不安になる。
だから迎えに行く。
三百二十は資料の端に、小さく書いた。
迎えに行く。
十八は次の札を出した。
事例三。
未来駅。
スケッチ帳。
本人返却確認。
二百九十が前へ出た。
「これは忘れ物センター案件」
壁に未来駅の映像が浮かぶ。
十二番乗換広場。
休憩台。
置き忘れられたスケッチ帳。
新人たちの間に、小さなざわめきが走った。
「スケッチ帳って、磁馬さんの一番大事な物じゃないんですか」
「よく置き忘れたね」
「置き忘れるんだ」
「磁馬だから」
二百九十がつい言った。
十八が目だけで見た。
二百九十は咳をした。
「この事例では、忘れ物センターへ届けられたスケッチ帳を本人へ返却した」
二百九十は資料を開いた。
「重要なのは、持ち主の足取りをたどること。磁馬はスケッチ帳を探しながら、植物区画、古書通路、迷子案内所を通っていた」
新人の一人が聞いた。
「なぜ迷子案内所へ」
三百二十は答えを知っていた。
でも、二百九十が先に言った。
「迷子を案内していたから」
研修室が少しだけやわらかくなった。
二百九十は続けた。
「落とし物を探す人は、自分のことだけ見ているとは限らない。磁馬は特にそう。自分のスケッチ帳を探している途中で、他人の迷子を案内した」
壁の映像に、磁馬の小さな紙が映る。
柱。
子ども。
案内所。
「持ち主を探すなら、物だけを見るな。持ち主が何を見ていたかも見る」
二百九十は黄緑の腕章を軽く叩いた。
「忘れ物センターでは、そう教える」
十八がうなずいた。
「良い教訓だ」
二百九十はうれしそうに笑った。
次の事例へ進む前に、百七が前へ出た。
研修室の空気が少し引き締まる。
「事例四」
百七が言った。
「昭和市場。昼飯」
新人たちの目が丸くなった。
三百二十も初めて聞く事例だった。
壁に古い市場が映る。
木箱が並び、店の人が声を上げている。
磁馬が店先で包みを買っている。
茶色の紙包み。
昼飯らしい。
磁馬はそれを鞄へ入れた。
はずだった。
歩き出した後、紙包みは鞄から落ちた。
市場の犬が近づく。
磁馬は気づかない。
「この時、担当回収員は百七」
十八が補足した。
映像の百七は、少し若かった。
今と同じように背筋は伸びている。
でも、今よりほんの少し動きが速い。
犬が紙包みに鼻を近づける。
百七が一歩出る。
しかし、拾わない。
犬の前に立つのではなく、店の前に落ちた別の紙を拾って、店主へ渡す。
その動きにつられて店主が外を見る。
店主が紙包みに気づく。
「お客さん、落としましたよ」
店主が声を上げる。
磁馬が振り向く。
「あ、私のです」
磁馬は戻ってきて、紙包みを拾った。
頭を下げる。
犬は少し残念そうに座る。
新人の一人が言った。
「百七さんが拾った方が早くないですか」
百七はうなずいた。
「早い」
「では、なぜ」
「店主が気づけば自然だからだ」
新人は資料に書きこんだ。
百七は続けた。
「回収員の介入は、少ないほどいい。現場の中で自然に戻せるなら、それを選ぶ」
三百二十は思い出した。
百七の過去。
木の玩具。
早く拾いすぎた失敗。
百七は、あれ以来ずっと見ているのだ。
誰が気づくか。
誰が動くか。
どの流れなら、物が一番自然に戻るか。
事例集の紙が、ただの面白い記録ではなく見えてきた。
落とし物の裏に、回収員の判断がある。
十八が次の札を出した。
事例五。
温泉街。
湯札三枚。
うち一枚、別時代品。
研修室がまたざわめいた。
「湯札三枚?」
「そんなに落とすんですか」
「一枚は別時代品?」
五十二が前へ出た。
「この事例では、記憶処理も関わっている」
壁に温泉街が映る。
坂道。
宿。
湯けむり。
土産物屋。
磁馬がのんびり歩いている。
手には湯札。
その湯札のうち一枚が、未来温泉施設の認証札だった。
磁馬本人も気づいていない。
どうして混ざったのか不明。
おそらく前の時代で拾い、返そうとして、自分の湯札と一緒にしまったらしい。
三百二十は思った。
ありそうだった。
磁馬は宿の前で湯札を落とした。
三枚が道に散らばる。
近くの子どもが拾う。
そのうち一枚、未来の認証札を見て首をかしげる。
五十二が言った。
「目撃者は子ども一名。異物認識は弱い。ただ、不思議な札として記憶に残る可能性があった」
映像の中で、五十二が子どもの後ろ側に立つ。
声は聞こえない。
記憶具の淡い光だけが見える。
「処理は最小限。子どもには、変な模様の湯札を見た、程度の記憶を残した。未来認証札の形状と機能への興味は遠ざけた」
新人の一人が聞いた。
「全部忘れさせないんですか」
五十二は首を振った。
「全部消すと、なぜ自分が道に立っていたのかわからなくなる。自然ではない。記憶は丸ごと外すのではなく、危ない部分だけ遠ざける」
三百二十は、明治の港町の少女を思い出した。
不思議な板は夢になった。
父親を守ろうとした気持ちは残った。
五十二は続けた。
「磁馬案件では、周囲の人が磁馬を覚えていることが多い。磁馬の人当たりが良いから。だから処理も雑にできない」
「雑にしたらどうなりますか」
別の新人が聞いた。
五十二は少しだけ目を伏せた。
「良い人に会った感じまで薄れてしまうことがある」
研修室が静かになった。
「それは、消さなくていいもの」
三百二十は資料に書いた。
消さなくていいものを消さない。
事例集はさらに続いた。
江戸の橋の筆。
未来市場の小銭袋。
未来駅のスケッチ帳。
昭和市場の昼飯。
温泉街の湯札。
雨の宿場町で落とした訳機。
未来遊園地で置き忘れた傘。
古い喫茶店で忘れた紙束。
まだ完成していない駅で落とした鉛筆。
どの事例にも、磁馬がいた。
困った顔で探す磁馬。
人にたずねる磁馬。
犬にまでたずねる磁馬。
自分の落とし物を探しながら、別の人の落とし物を拾う磁馬。
最後に必ず、あった、と言う磁馬。
新人たちは、最初は笑っていた。
また落とした。
今度は何を。
こんな所に。
どうして。
けれど、事例が進むにつれて、笑い方が変わっていった。
ただのおかしさではない。
落とし物をめぐって、いくつもの判断がある。
すぐ拾うか。
見守るか。
自然に戻すか。
記憶処理をするか。
誰に気づかせるか。
どこまで介入するか。
磁馬は、現場を複雑にする。
でも同時に、現場の大事な部分を見せてくれる。
新人の一人が、ぽつりと言った。
「磁馬さんって、教材なんですね」
十八がうなずいた。
「そうだ」
二百九十が言った。
「本人には言わないけどね」
百七が静かに言った。
「言わない方がいい」
五十二も小さくうなずいた。
研修の終盤。
十八は最後の事例札を出した。
事例十七。
記録未完。
場所、未確定。
落とし物、未確定。
対象、磁馬。
新人たちが首をかしげた。
「未確定?」
「何もわかっていないんですか」
「なぜ事例に」
十八は資料を閉じた。
「これは、次に起きる磁馬案件のための欄だ」
三百二十は資料の最後のページを見た。
そこには、まだ何も書かれていない記録欄があった。
日付。
時代。
場所。
落とし物。
周辺異物。
本人捜索。
介入内容。
処理。
結果。
最後の行。
本人回収確認。
三百二十はその行を見つめた。
十八が言った。
「磁馬案件は今後も起きる。必ず起きる」
新人たちの何人かが、少し笑った。
「笑うところではない」
十八の声で、すぐに静かになる。
「いや、少し笑ってもいい。だが、現場では笑うな」
二百九十が小さく肩を震わせた。
「磁馬案件は、簡単に見える。落とし物を探すだけに見える。だが、そこには回収員としての基礎が詰まっている」
十八は指を一本立てた。
「観察」
次にもう一本。
「待機」
次にもう一本。
「介入判断」
さらにもう一本。
「記憶処理の可否」
最後にもう一本。
「本人の時間を尊重すること」
研修室に、静かな重さが降りた。
「時代整理局は、時代を守る」
十八は言った。
「だが、時代とは大きな流れだけではない。誰かが落とした筆。誰かが探した小銭袋。誰かが返されたスケッチ帳。そういう小さな物も、時代の一部だ」
三百二十は筆を握った。
「磁馬が教えているのは、そこだ」
十八は資料を閉じた。
「以上。質問は」
新人の一人が手を上げた。
「磁馬さんは、自分が研修資料になっていることを知っているんですか」
研修室がまた静かになった。
二百九十が十八を見る。
五十二も見る。
百七は見ない。
三百二十も気になった。
十八はしばらく黙った。
そして言った。
「たぶん、気づいている」
「え」
「だが、何も言わない」
「どうしてですか」
十八は少しだけ視線を落とした。
「こちらも何も言わないからだ」
三百二十は江戸の橋を思い出した。
磁馬が軽く頭を下げた姿。
未来市場で目が合った時の笑顔。
未来駅でスケッチ帳を受け取った時の顔。
気づいている。
でも言わない。
その距離が、ジクウ回収屋と落とし物画家の間にある。
研修が終わると、新人たちは資料を抱えて立ち上がった。
最初より、みんな少し静かだった。
ただ面白い話を聞いた後ではない顔をしている。
三百二十も資料を閉じた。
厚い。
重い。
でも、最初に持った時よりも、重さの意味が変わっていた。
二百九十が近づいてきた。
「どうだった?」
「思っていた研修とは違いました」
「だよね」
「でも、必要な研修でした」
二百九十は満足そうにうなずいた。
五十二が横を通った。
「次に磁馬を見る時、足元だけ見ないように」
「はい」
「周りの人の顔も見る」
三百二十はうなずいた。
百七は資料の最後のページを見ていた。
未確定の事例欄。
まだ何も書かれていない欄。
「百七」
三百二十が声をかけた。
百七が顔を上げる。
「次の磁馬案件も、本人回収確認になるでしょうか」
百七は少し考えた。
「本人が探しているなら」
「はい」
「なる可能性は高い」
「もし見つけられなかったら」
百七は資料を閉じた。
「その時は、こちらが支える」
三百二十はその言葉を胸に置いた。
十八が扉の前で言った。
「三百二十」
「はい」
「資料を保管しておけ」
「持ち帰っていいんですか」
「新人必読だ」
「読み直します」
「読むだけでは足りない」
十八は記録筒を腰へ戻した。
「次は、書く側になる」
三百二十は資料の最後のページを見た。
未確定の欄。
いつか自分が、ここに記録を書く。
磁馬を確認。
周辺捜索。
落とし物。
介入。
本人回収確認。
そう思うと、少しだけ緊張した。
研修室を出ると、時代整理局の通路はいつも通りだった。
時計の針は、相変わらず不思議な向きをしている。
進んでいるのか。
戻っているのか。
それとも、待っているのか。
三百二十は資料を抱えて歩いた。
通路の途中で、保管庫へ向かう扉が開いた。
奥から二十三が出てくる。
静かな顔で、記録札を抱えている。
「研修か」
「はい」
「磁馬事例集?」
三百二十は驚いた。
「知っているんですか」
二十三はうなずいた。
「全員通る」
「全員」
「回収員になるなら、一度は読む」
二十三は少しだけ遠くを見るような目をした。
「そして大体、現場で本物を見る」
三百二十は思わず聞いた。
「二十三も見たんですか」
「見た」
「何を落としていましたか」
「団子」
三百二十は返事に困った。
二十三はまじめな顔だった。
「本人回収確認ですか」
「犬との競争だった」
「結果は」
「磁馬が勝った」
三百二十は思わず笑ってしまった。
二十三もほんの少しだけ口元を動かした。
通路を進む。
資料を抱える。
三百二十は、局の中にある磁馬の気配を感じた。
本人はいない。
でも、記録がある。
事例がある。
内規がある。
誰かが話した落とし物の記憶がある。
磁馬は、時代整理局に所属していない。
番号もない。
回収員でもない。
けれど、局の新人たちは彼を学ぶ。
彼の落とし物から、仕事を覚える。
落とし物画家。
三百二十は、その言葉を心の中で転がした。
報告室に戻ると、机の上に新しい記録札が置かれていた。
十八の字で短く書かれている。
研修所感を提出。
三百二十は椅子に座った。
資料を横に置く。
筆を取る。
何を書けばいいのか、少し迷った。
研修で学んだこと。
磁馬案件の重要性。
観察。
待機。
介入。
本人の時間を尊重すること。
どれも正しい。
でも、それだけでは足りない気がした。
三百二十は筆を下ろした。
研修所感。
磁馬事例集を読んだ。
磁馬はよく物を落とす。
しかし、ただの落とし物記録ではなかった。
磁馬が落とした物を見ることで、回収員が何を見て、何を待ち、どこまで手を出すべきかを学ぶ資料だった。
三百二十は一度止まった。
そして続けた。
落とし物は、早く拾えばいいとは限らない。
持ち主が見つける時間も、時代の一部だと思った。
ただし、破損や持ち去りの危険がある場合は、最小限の介入が必要。
記憶処理は、必要な部分だけ行い、消さなくていいものは残す。
持ち主へ返す時は、物だけではなく足取りを見る。
最後に、こう書いた。
磁馬を見かけたら周辺を捜索しろ。
最初は変な内規だと思った。
今は、回収員の基礎が詰まった言葉だと思う。
筆を置く。
三百二十は少しだけ肩の力を抜いた。
その時、通路の向こうがざわついた。
誰かが走っている。
回収員が走る時は、だいたい何かが起きている。
扉が開いた。
二百九十が顔を出した。
黄緑の腕章が揺れている。
「十八いる?」
「まだ研修室だと思います」
「百七は?」
「保管庫の方へ」
「五十二は?」
「記憶処理担当室です」
三百二十は立ち上がった。
「何かあったんですか」
二百九十は少し息を整えた。
そして、まるで研修の続きのように言った。
「磁馬を確認」
三百二十の手が止まった。
「場所は」
「大正末期の駅前通り」
「落とし物は」
「未確定」
「周辺異物は」
「それも未確定」
二百九十は肩で息をしながら笑った。
「できたての未確定事例だよ」
三百二十は机の上の資料を見た。
最後のページ。
事例十七。
記録未完。
まさか、今日埋まるのか。
十八が通路の向こうから現れた。
百七も来る。
五十二も静かに合流する。
十八は三百二十を見た。
「研修は終わった」
「はい」
「では、現場だ」
三百二十は資料を閉じ、回収鞄を肩にかけた。
指先がそろいそうになる。
でも、今日はその手を開いた。
見る。
待つ。
必要なら動く。
二百九十が記録札を渡した。
場所。
時代。
磁馬確認。
落とし物未確定。
三百二十はそれを受け取った。
「三百二十」
百七が言った。
「何を見る」
三百二十はまっすぐ答えた。
「磁馬さんだけではなく、周辺を見ます」
五十二が言った。
「何を残す」
「必要なものを残します」
二百九十が言った。
「何を返す」
「物だけでなく、持ち主の時間ごと返します」
十八が最後に言った。
「では、行くぞ」
扉が開いた。
向こうから、古い駅前の音が流れ込んでくる。
汽笛。
人の声。
荷物を運ぶ音。
菓子を売る声。
雨の前のような湿った風。
三百二十は一歩踏み出した。
研修資料の文字が、背中でまだ鳴っている。
磁馬を見かけたら周辺を捜索しろ。
もう変な内規ではなかった。
ただの笑い話でもなかった。
時代の裏側で働く者たちが、何度も失敗し、何度も見守り、何度も記録してきた言葉だった。
大正末期の駅前通りに、磁馬はいた。
茶色の上着。
布の肩掛け鞄。
少し跳ねた髪。
手には小さな紙。
スケッチ帳ではない。
何かを探しているのか、駅の時計を見上げているのか、まだわからない。
三百二十は足元を見た。
通行人の手元を見た。
駅前の荷物を見た。
子どもの動きを見た。
犬の鼻先を見た。
売店の台の下を見た。
そして、磁馬の表情を見た。
困っている。
けれど、まだ落とし物に気づいた顔ではない。
何かを見つけようとしている顔だった。
十八が低く言った。
「周辺捜索開始」
百七が左へ動く。
五十二が人の流れを見る。
二百九十が駅の届け物窓口へ向かう。
三百二十は、駅前の端へ歩いた。
落とし物画家の事例は、また増える。
この後、何が落ちるのか。
もう落ちているのか。
そもそも落とし物ではないのか。
まだわからない。
でも三百二十は、焦らなかった。
資料の中の磁馬。
江戸の橋の磁馬。
未来市場の磁馬。
未来駅の磁馬。
今日、目の前にいる磁馬。
その全部が、三百二十に教えていた。
物は、ただ拾えばいいわけではない。
人は、ただ忘れればいいわけではない。
時代は、ただ守ればいいわけではない。
見て。
待って。
必要な時にだけ、手を伸ばす。
駅前の風が、三百二十の灰色の上着を揺らした。
磁馬がふと振り向いた。
遠くから、三百二十と目が合った。
磁馬は少しだけ首をかしげた。
そして、いつものように軽く頭を下げた。
三百二十も頭を下げた。
何も言わない。
こちらも言わない。
それでいい。
駅の時計が鳴った。
その音と同時に、磁馬の肩掛け鞄から、小さな紙片が一枚、風に乗って落ちた。
三百二十は見た。
拾わない。
まだ動かない。
紙片は駅前の石畳を滑り、売店の足元で止まった。
磁馬はまだ気づいていない。
三百二十は息を整えた。
そして、資料にはまだ書かれていない事例の一行目を、心の中で記録した。
大正末期、駅前通り。
磁馬を確認。
紙片一枚、落下。
本人、未認識。
周辺捜索、継続。
落とし物画家の研修は、まだ終わっていなかった。