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へぇーい、と、返事をする虎の勢いは、弱々しかった。
「築地だが、虎、大丈夫か?」
「社長、もちろん、大丈夫っすよ」
金原へ返事をする虎からは、酒の臭いが漂っている。
「……飲み過ぎだろ……」
声をかけながら金原は、人力車の隣に座る櫻子を伺う。
こちらも、悟られまいとしているが、ぐったりしていた。
二日酔いなのか、起きるのが辛かったのか、酒のせいではあるのだろう、櫻子の装いは、昨日に比べ、簡素なものだった。
髪は、小さく結い、淡い浅葱色の着物に白い帯を合わせている。
着物には、黄色の薔薇の様な小花がひっそり描かれモダンではあるが、品がある。
その出で立ちは、櫻子の清楚な感じに拍車をかけ、金原は、つい、見惚れてしまっていた。
「まあ、いい。無理なら、引き返す」
などと、平然としている金原だったが、隣の櫻子の姿が気になり、内心そわそわしていた。
「……で、あの子供、名前をつけてやらないと。八代から聞いたのだが……」
八代以外は、もちろん、潰れており、見送りは、あの子供が門前でポツンと立っている状態だった。その情景を思いだし、金原は言っていた。
「お玉ちゃんの、物を揃えないと。構いませんか?」
「お玉……?」
ちぐはぐな会話が、更に、ちぐはぐになっている。ここで、深く尋ねて良いものか、金原は言葉に詰まった。
すると、大きなゲップを繰り返しながら、虎が答える。
「社長、阿弥陀くじで、決めたんすっよ。お浜さんの、大当たり!」
ますます分からなくなった金原は、ああ、そうか、と、そつなく答え、櫻子を見る。
櫻子は、何も言わなかった。調子が悪いのだろうかと、思いつつ、金原も沈黙を通した。
景色は、いつの間にか、賑やかな街のものになり、目的地は、近づいている。
虎も、酒が抜けてきたのかなんなのか、段々勢いづいて、人力車の速度は上がっていった。
「社長!築地に入りました!成田屋ですよね、おおよそ見当は、つきますが、迷うかもしれませんっ!」
虎は、目的の店のありかをはっきり知らないと言ってくれる。
金原は呆れつつ、何処かで尋ねろと言いかけたが、すぐに、渋い顔をした。
先に、見覚えのある二人組を見つけた。櫻子も、気づいたようで、顔色が変わった。
「……社長……成田屋……です」
虎も、口が重い。
「まったく……同じ店でかち合うとはな……」
成田屋と書かれた看板が掲げられている店のドアを開け、勝代と珠子が入って行く。
二人を迎えるドアベルが、カランカランと鳴っている。
「大丈夫だ、俺がいる」
金原は、櫻子へ言うと、虎へ命じて人力車を止めさせた。
「少し歩くか……」
これからの心構えをしろと言っているのだと、櫻子は思いつつ、先に降りた金原が、差し出す手を取り、踏み台へ足を乗せる。
金原は櫻子の手を取ったまま、店へ向かって歩き出した。
「ああ、金原様!」
屋敷へやって来た男が、金原に気がついたようで、さっとドアを開け迎えてくれるが、ドアベルの音と共に、勝代のよそ行きの声も流れ出して来た。
「あいすみません、他の御客様も、お仕立てに参られておりまして……」
騒がしさに申し訳なく思ったようで、店の男は、金原へ頭を下げた。
「いや、商売だ。気にすることはない」
棘のある言い方をする金原に焦りつつ、さあさあ、こちらへと、店の男は、別室を勧めるが、その様子に、珠子が気がついた。
「なんで!」
ただ、それだけ言うと、母、勝代の袖を引く。
雄弁に語っていた勝代は、何事か、行儀が悪いと、珠子をたしなめながら、
「まあ、こんなで子爵様の元へ嫁げるのかしら」
と、高笑っている。
「なんです?子爵とは?」
発せられた金原の声に、珠子が知らせて来た意味を勝代は悟る。
そして、振り向いた先、金原の後ろにいる櫻子の姿に釘付けになった。
「まあ……どうしたこと。奇遇だわね」
言う、勝代の視線は、苦々しそうに櫻子の着物を睨み付けていた。
簡単な装い。ではあるが、その質は、一目で上質であると分かるもので、勝代達の着物より、断然、良い品に思えた。
勝代は、櫻子を眺め続ける。
体を強ばらす櫻子の手を、金原はギュッと握ると、
「おや、お義母《かあ》さんではありませんか」
朗らかに、勝代へ声をかけた。
「お、お義母さん!」
ひっと息を飲み、勝代は仰天した。
「あの……お知り合いで?」
金原を迎えてくれた店の男が、不思議そうに、二組の客を見比べた。
「まあ、そんなところだ。さて、妻のドレスを作りたいのだが?」
別室へ移動しようとする金原と櫻子に、勝代は大袈裟に言う。
「珠子の縁談が決まりそうなんですよ。お相手は、子爵様。まだ、正式ではないので、名前はだせませんがね」
口角をあげて、睨み付けてくる勝代へ、金原も同じく口角をあげ、
「おお。それは、お目出度い。しかし、決まりそうなだけでしょう?まだ、祝いの言葉は、早いですね」
ははっと、バカにしたかのように金原は笑った。
金原、勝代の間に、バチバチと火花が飛んでいるのが、誰の目にも分かるのか、店員達は慌てて、こちらへ、こちらへ、と、金原を、別室へ誘った。
「まあ、別室でしか作れない、品祖なドレスなのね」
勝代が、反撃に出る。
「……ですねぇ。婚礼用だかなんだかには、おとりますか。やはり、居留地の社交界向けですから」
なあ、と、金原は店の者へ同意を求めた。
「はいっ!ハリソン様から、伺っております!奥様の顔見せだとか!在留されている方々と同じ物をお作りいたします!」
居留地、社交界、そして、店の者の慌て具合に、勝代は、驚きを隠せない。
子爵様との婚礼支度と、先ほどまで、店一丸となり張り切っていた。
しかし、居留地の社交界という言葉一つで、勝代達の相手をしていた者達までが、金原へ羨望の眼差しを送っている。
子爵よりも、在留外国人の方が、上なのだと、勝代は知らしめられた。
「ドレスというものは、その様な生地で良いのですか。私は、洋装にはくわしくないのでねぇ」
ふむふむと、頷きながら、珠子の為に用意された生地が積み重なっている、作業台のようなテーブルを金原は眺めると、
「ほお、そんな安っぽいものでいいのか」
ぼそりと、トドメの一撃を発し、勝代へ極上の笑みを向けた。
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