11月半ばの平日、浜には誰もいなかった。
それほど広くないこの浜辺はプライベートビーチ感が漂っている。
シーズンオフなので辺りにある店は全て閉まっていてひっそりと静まり返っていた。
砂浜に足を踏み入れるとサラサラした白砂の感触が靴を通して伝わってくる。
その砂の白さはまるで南国の海のようだ。
二人は荷物を砂浜の上に置くと、手を繋いで波打ち際まで歩いて行った。
波打ち際ギリギリで立ち止まると目の前に広がる美しい海を見た。海の色は詩帆が好きなセルリアンブルー色に染まっていた。鮮やかで美しいその色を目にして詩帆は思わず言葉を失う。
この感動を言葉にしようとするとぴったりと当てはまる言葉が見つからない。
言葉に表せないほどの強い思いを詩帆は感じていた。
そして無言まま海をじっと見つめる。
そんな詩帆を見て涼平は満足そうだった。
波はとても穏やかで打ち寄せる波音も耳に優しい。
太陽に照らされた海は瞬時に色を変える。
波による泡でその鮮やかな色がかき消されたかと思うとまたすぐに元の色へ戻る。
優しく穏やかな海は刻一刻と表情を変えていた。自然が魅せる色の魔法は詩帆を虜にしていた。
どのくらい海を見つめていただろうか? 漸く詩帆が口を開いた。
「涼平、連れて来てくれてありがとう」
詩帆から呼び捨てで呼ばれた涼平は驚いた顔をしている。しかしすぐに嬉しそうな笑みに変わった。
「今、『りょうへい』って言ったでしょ? もう一回呼んで! お願い!」
涼平がそう懇願すると詩帆は笑いながら頭を左右に振った。
「詩帆ちゃんお願いー、もう一回呼んでー!」
涼平はそう言いながら詩帆を追いかけた。それに気づいた詩帆はすぐに逃げ始める。
波打ち際を走り回りながら二人はキャッキャとはしゃいでいた。
しかし次の瞬間涼平が詩帆の腰を捕まえてあっという間に抱き寄せた。
「人に見られるわ……」
詩帆は恥ずかしそうに涼平から離れようとする。しかし涼平は逃げようとする詩帆をさらに強く抱き締めた。
「俺はみんなに見て欲しいよ! 俺達はこんなにラブラブなんだぞーって! みんな見てくれーって!」
涼平が子供みたいな事を言ったので詩帆は笑いながら言った。
「ばかっ!」
詩帆が笑顔のまま涼平を見つめ返すと涼平は詩帆の唇を塞いだ。
二人は抱き合ったまましばらく熱いキスを交わした。涼平は朝詩帆に会った時からこうしたくてたまらなかった。そして今セルリアンブルーの海を前にその思いを遂げた。
それからの詩帆は忙しかった。とにかく日暮れまでに描けるだけ絵を描きたい。こんなにも素晴らしい海を目にしたら一枚でも多くの絵を描きたいと思うのは当然だ。
そんな詩帆の気持ちを理解している涼平は、詩帆の為にアウトドアチェア二脚を砂浜の上に広げてくれる。
一つには詩帆が座りもう一つは画材を置いたらいいよと涼平は言った。
「涼平はどこに座るの? あ、もしかしてサーフィン?」
詩帆が目を輝かせて言うと、
「この波じゃーなー」
と涼平が肩をすくめた。確かに今日の海は穏やか過ぎてサーフィンには向かない。そのくらいの事は素人の詩帆でもわかった。
「俺は今日はコレ!」
涼平はそう言ってリュックから一眼レフのカメラを取り出した。
「えっ? 写真の趣味もあったの?」
「うん。佐伯さんほど上手くはないけれどね。でも昔少しだけ教わった事があるんだ」
「プロに指導してもらうなんて凄いわ。撮ったら私にも見せてね」
詩帆はそう言ってから絵を描く準備を始めた。そんな詩帆をその場へ残したまま涼平は砂浜を右手に向かって歩き始めた。
砂浜の一番端には岩場がある。涼平はその辺りまで行くとカメラの電源を入れて撮影の設定をチェックした。
久しぶりなので設定の仕方を思い出すのに時間がかかる。
準備が終わると海へレンズを向けてファインダーを覗いた。そこには詩帆が好きなセルリアンブルーの美しい海が広がっていた。
涼平はその美しい海を夢中になって撮影した。シャッタースピードや絞り値の設定を変えながら納得いくまで何枚もの写真を撮った。
撮った写真をライブビューで確認するとまあまあ満足する写真が撮れていたので、涼平は次にカメラのレンズを詩帆の方へ向けた。
レンズの向こうには海を見つめながら真剣に絵を描いている詩帆がいた。
すると突然詩帆の顔がぼやけて見える。
(あれ? ピントがおかしいな)
涼平はカメラをチェックしてみたがちゃんとオートフォーカスになっているし他の設定にも問題はなかった。
気を取り直してもう一度カメラを覗くとやはり詩帆がぼやけて見える。
その時涼平は気づいた。それは自分の瞳が涙で滲んでいるからだという事に。
涼平はカメラの向こうに自分が愛する女性が存在しているという事実に感極まって泣いていたのだ。
愛しい人が今目の前にいる、そんな普通の人にとっては当たり前の事が涼平にとっては泣きたくなるほど嬉しく、そしてその人と同じ世界に生きているという実感が涼平を暗い海の底から引き上げてくれるような……そんな風に感じられた。
涼平が声を押し殺して泣いているすぐ傍をオンショアの優しい風が通り抜けて行った。
優しい波音はまるで涼平を慰めるかのようにいつまでも繰り返しの音を奏でていた。
コメント
2件
愛する人からの「名前呼び」が素直に嬉しかったり🥺 目の前にいる彼女を ファインダー越しに覗いていたら 涙が溢れ 止まらなくなってしまったり....😭 長く続いていた暗いトンネルから 漸く抜けて、愛する詩帆ちゃんと共に 今を生きている喜びを噛みしめる涼平さんに ....思わずウルウル(;_;)(T-T)💓✨
ウルウル🥹涼平さんの気持ちを考えると感極まる😭 愛する詩帆ちゃんが自分の隣でセルシアンブルーの🌊を一生懸命に捉えて絵を描く姿をリアルに見てカメラに収め幸せを感じる今この時… 菜々子さんの時と想いが重なるよね… 今を大事に大切に過ごさなきゃ、って思う。