テラーノベル
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私がアップルパイを完食してしまった後もしばらくはカフェに居たが、終始叶糸の態度が甘々で、真夏の氷の様に溶けるかと思った。二人で座るにはやや狭いせいもあって、常に寄り添っているままだったし。蕩ける様な瞳をこちらに向け続け、男性的なごつい手を私の細い指に絡めてそっと肌を撫でていたりと。アピールが過ぎる気がする程、役者顔負けの愛情表現過多な演技だった。
帰宅後も、私がマーモットに戻っていようがベタ甘で、勉強中ですらも膝に座らせて抱っこし続けるとか。『此処にはもう人目も無いのに、どした!?』と訊きたくなったけど、まだまだ癒しが足りなかったのかもしれないから、好きにさせた。
(彼が大事な『後継者』だからか、どうも私は叶糸にかなり甘い様だ。——いや、元々こんな子な気も……まぁ、いいか)
それ以降も叶糸からの外出の誘いは続いた。護衛の同行や車での送迎が必須ではあったものの、水族館やら映画館やらと定番の施設には粗方回った気がする。流石に街中散策デートだけは保全の関係で行けず、その事が少しだけ残念だ。
(とはいえ、本気で行きたいとなれば、更に別の容姿に姿を変えてしまえばいいだけの話だから別にいいんだけどな)
“この容姿のままで”となると人気のデートコースは次第に面倒になっていってった。
(千年近くも引き篭もっていた弊害か?)
だからか、最近ではもっぱら大学の構内デートが定番となっている。
『龍の獣人』状態で外出するには、まずアルサ夫婦に毎度申告せねばならず、護衛の人数が大幅に増えたりもするから申し訳ない気持ちで一杯にもなるのだ。だが大学の構内であれば既に警備がしっかりしているから報告も不要だ。
(親戚筋でもある学長のご厚意で、大学側への立ち入り申請も省略出来る様にしてもらったからな)
連れ歩く警護も最低人数である二人だけで済むし、お気に入りである芝生の広場なんかは大学を守る結界の対象内に位置しているので気持ち的にかなり楽なのだ。なので専ら天気がいい日は芝生広場で、それ以外の日は正門前のカフェでといった流れになっている。
(誘拐だ何だといった危険性が常にあるとか、高位貴族の生活ってのは何とも面倒なのだな)
今日は午前の授業が終わってから叶糸と構内の芝生広場で合流。彼の授業中はずっと、私も姿を消した状態で、芝生に座りながら『管理者』としての仕事に勤しんでいた。
次の講義が始まるまでの時間だけという短い時間、『仲良しアピール』の為に私は叶糸に膝を貸し、現在彼は私の膝枕で寛いでいる。結界内は気温調節もバッチリなのでくっついていても平気なのだが、一歩でも大学の外に出れば灼熱状態なので、近いうちに天候管理を今一度見直しておこうかと思う。
「……休めそうか?」
瞼の上にそっと手を置いて日光を遮断してやる。口元しか見えなくなったが、その口が雄弁に『勿論』と語っていて何だか可愛い。獣耳が後ろに倒れてもいるから、きっと嬉しいのだろう。
(愛い奴めっ)
こっちの口元まで緩んでしまう。ただ、尻尾がやや邪魔なのはわかるが、私の方に顔を向けた状態での膝枕は気恥ずかしいのでやめて欲しい。その事を言うか言わざるか一人で悩んでいると、「——そう言えば」と叶糸が先に口を開いた。微かに当たる吐息の熱がくすぐったい。だけど話を訊こうと、ぐっと堪えた。
「先日、都内の街中で傷害事件があったのは知っているか?」
「急に随分と物騒な話題だな。傷害事件か……いいや、ちょっと覚えていないなぁ」
「丁度車から降りた所だった女性が通行人に刺されたんだが、どうもその『女性』っていうのが、この間アルサが話題に出していた“北尾スリエ”らしいんだ」
その名前を訊き、背中にざわっと悪寒が走った。元婚約者だったからか、叶糸の口から聞きたい名前じゃないなと改めて思う。
「……無事、なのか?」
「まぁ、命に別状はないらしいが、『生きてはいる』ってだけの状態らしいぞ」
「……なんでまたそんな」
絶対に関わりたくない類の迷惑極まりない難儀な女性ではあるが、そこまでの目に遭ったとなると流石に心配だ。
「噂程度に聞いた話だけど、加害者の男性っていうのが、離婚した元夫だったらしいんだ」
「そんな偶然があるものなのか」と思わず驚いた。元夫達は“北尾スリエ”との結婚生活によって軒並み精神を病み、『治療』と称して記憶の削除をしているから、もし何処かですれ違っても北尾の存在にすら気付かないだろうに。
(突然の再会のせいで、心の奥の根深い何かが呼び起こされたりでもしたのか?)
「元夫は、一度は彼女の側を素通りしたらしい。でも北尾にとってはそれが気に入らなかったのか、捨てた玩具でまた遊びたくなったのか理由はわからないが、相手の承諾も無く一方的に『治療』で消した『結婚生活中の記憶』を強制的に復元したらしいんだ」
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「——は!?」
大きな声をあげてしまった。そんな事をしたらどうなるか、精神科医でもある北尾ならばわかっていただろうに。
「四度目の結婚を考えている状態だったからな。記憶を復元して、元夫と再婚でもしようとか思ったのかもな」
「無理だろ!心を病むくらいに追い詰められていた時の記憶が、急に一気に戻ったりしたら、まともな精神状態じゃなくなるだろ……」
「元夫は突如泣き叫びながら暴れ出して、周囲の建物のガラスなんかも壊し、飛び散ったガラス片で元嫁の顔や体をズタズタに切り裂いたって話だけど、……どっちが『被害者』なんだろうな」
「こう言っちゃ何だが……この結果は自業自得とも言えるな」
記憶の復元なんかしなければ何も起きずに済んだのに。
『親も再婚再婚煩いしぃ、何か最近新しい恋人探しも上手くいってないしぃ、元夫とか丁度良いんじゃない?アタシの事を思い出させるだけでもう“奥さん大好きモード”に戻るんだから、堕とす手間無しで超楽じゃん!——ふふふっ。もう一回私の事好きになってもいいんだよ♡んでぇ、またぁ、キモイオッサン達にたっくさん犯されている私を見てぇ、ギンギンに勃起しながら泣き叫ぶ姿を見せてもーらおっと♫』
……そんなふうに考えて、封じ込めた全ての記憶を安易に復元したのだろう。精神疾患の『治療』として記憶の消去作業に彼女も関わったのであれば、元に戻すのも簡単だったに違いない。だが、まともな精神状態の中に、一気に戻ってきた数年分の『地獄の苦しみの記憶』なんか受け止められるはずがなく、自己防衛と危険因子の排除行為が過剰反応して傷害事件に発展してしまったのだろうな。
(トラウマの原因そのものが治療に関わるとか、本来なら絶対にあり得ない違反行為だろうけど、北尾侯爵家の御令嬢ともなれば、かなりの無茶も通ってしまいそうだからあり得るぞ)
「外科手術に加えて治癒魔術なんかも並行して施したらしい。それでも顔は復元不可能で、意識もたまにしか戻ってこないって話だ。生殖機能ももう治療不可能な状態だとかで、北尾家の当主夫婦は親戚筋から養子をもらって、そっちを後継者にする事に決めたらしいよ」
「被害に遭った者に言っていい言葉じゃないが、人として色々終わってる娘だったからな。北尾侯爵家の将来の為にもそれが一番だろう」
「この事件をきっかけに、他の元夫達の親族からも北尾家は訴えられたからね。しばらくは裁判だ看病だとかなり大変だと思う」
「……子供の倫理観をしっかり矯正出来なかったツケが今ここで回ってきた感じか。知識を詰め込むばかりじゃない、比較的真っ当な御両親だったのに、根っこから腐っている娘を持つとか……不憫でならないな」
「ホント、そうだな」
——でもこれで、北尾スリエと叶糸の人生がまた交わるかもという心配は一切しなくてよさそうだ。そう思うと、加害者であり、被害者にもなった彼女には申し訳ない発想だが、正直心底ホッとしたのだった。
コメント
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更新お疲れ様です!第38話、読み終わりました。 前半の甘々な叶糸くん、めちゃくちゃ可愛かったです…!マーモット状態でも膝に座らせて抱っことか、もう完全にデレデレじゃないですか。アルカナさんも「好きにさせた」って受け入れてるの、何だかんだで甘いんだなあとほっこりしました。 そこから一転、北尾スリエの傷害事件の話が来て、空気がガラッと変わるのが印象的でした。記憶を無理やり復元した結果の自業自得…とはいえ、あそこまでの悲惨な結末になるとは。アルカナさんが「人として色々終わってる娘」とバッサリ切りつつも、最後に「ホッとした」と本音を漏らすところ、複雑な心情が伝わってきてグッときました。これで叶糸くんと北尾さんが再び交わる心配がなくなったのは、アルカナさんにとっては本当に大きいですよね。 次回も楽しみにしています!