🕯️虚栞(うろしおり)
「……どうして“読み終えていない本”に、栞が挟まってるんだ?」
誰もいない静かな空間に、かすかに紙が擦れる音。
その部屋には本が一冊もないのに、床には大量の“しおり”だけが散らばっていた。
駅名は虚栞(うろしおり)。
降り立ったホームの先は、石造りの巨大な図書館のような建物。
天井は高く、重厚な柱が並ぶが、本棚はすべて空。
窓は無く、空間の端がどこまでも曖昧にぼやけている。
建物内には、本の代わりに**“しおりだけが無数に残されている”。**
それらはすべて異なる色、紙質、形状で、
一枚一枚に名前も書名もなく、ただ、文章の断片だけが記されている。
この場所に迷い込んだのは、
永見 葉(ながみ・よう)、28歳の元図書館司書。
ベージュのニットカーディガンに、
ターコイズのプリーツスカート。
柔らかいウェーブの肩までの髪を耳にかけ、
丸ぶち眼鏡が彼女の表情に繊細な知性を与えていた。
葉は、いくつかのしおりを拾い上げた。
「あの日、読まずに閉じた日記」
「誰かに返すつもりだったラブレターの下書き」
「読まれなかったメールの最後の行」
「“好き”の直後で止まったページ番号:74」
それらはすべて“読まれなかった言葉”ばかり。
そしてその中に、
自分の筆跡で書かれたしおりを見つける。
「図書室であの人が話しかけてくれた。
あの時、私は“何て返したか”覚えていない。
——だからここに残す。」
それは、大学時代の記憶。
特別だった人との会話。
しかし、続きを書こうとした時、記憶がブツリと途切れる。
葉は、そのしおりを拾って歩き出す。
空っぽの書架の間を進むうち、
ふと、“読みかけの本”が一冊だけ落ちていた。
開くと、そこにはページがなく、
代わりに何百ものしおりが束ねられたものだった。
最後のページにこう書かれていた。
「この本に書かれているのは、“あなたが読み終えなかった自分”です」 「読み返すも自由、閉じるも自由。 ただし、破り捨てることはできません」
葉はしばらく迷った末、
しおりの束の中から一枚を抜き取り、胸ポケットにしまった。
気づけば、南新宿駅のベンチに座っていた。
ポケットの中には、しおりが一枚。
そこには、こう書いてあった。
「——いつかまた、この続きを読む時が来る。 その時、やっと“今”が進むのかもしれない。」
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