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白波 灯
196
#王子
すっこ
376
院内では、医療安全管理部を中心に調査チームが組まれた。
私は莉央の姉であり、当日の処置へ一部関わった医師でもある。調査へは参加せず、電話履歴と自分が見聞きした事実だけを文書で提出した。
電子記録の履歴から、沙耶が入力した初回対応時刻は二度変更されていた。
最初は午後九時二十二分。
その後、午後九時五十八分へ修正されている。
ナースコールは九時三十四分と四十二分。別の看護師は、九時半前に沙耶へ「出血が増えている」と伝えたと証言した。
さらに、本来の担当者が別の緊急分娩へ呼ばれた際、沙耶が自分から交代を申し出ていた。
接触回避の申し送りを見落としていたとしても、莉央と自分の間に何があるかは、沙耶自身が誰より知っている。
それなのに、自分から担当へ入った。
ただの引継ぎ不足で片づけられる話ではなかった。
「正式な報告が出るまで、調査内容は伝えられません」
そう告げられた。
彼も画像部門の記録確認を求められていたが、内部情報を私へ流さない。
「分かっています」
「つらいとは思いますが」
「榊原さんが規則を破れば、私が守ろうとしてきた手順まで壊れます」
あの夜、私を抱きしめたことも、慧は一度も持ち出さなかった。
優しくしたのだから返事をくれとも、特別に情報を教えるとも言わない。
仕事中は、以前と同じ距離だった。その変わらなさに、私は助けられていた。
調査開始から一週間後、沙耶が廊下で私を待っていた。
「少しだけ話せますか」
「調査中です。私へ接触しない方がいい」
「謝りたいんです」
「謝罪も説明も、担当者へ」
横を通り過ぎようとすると、沙耶が低い声で言った。
「莉央さんを流産させるつもりはなかった」
足が止まる。
「今の言葉も、私ではなく調査担当へ話してください」
「少し怖がらせたかっただけです」
「何をしたの」
「出血を見ても、すぐ医師へ報告しなかった。私が七年前、一人で待った時間を、あの人にも味わわせたかった」
指先が冷たくなる。
「どれくらい待たせた?」
「三十分くらい。最初は出血も少なかった。流産するとは思わなかった」
「後から記録を変えた?」
「医師へ報告した時には出血が増えていて……怖くなった」
目から涙が落ちた。
「妊娠初期の流産は、対応が早くても止められないことがある。私のせいだと決まったわけじゃない」
「そのとおりです。救えたかどうかと、意図的に報告を遅らせたことは別に調べる必要がある」
「先生は、私を犯罪者にしたいんですか」
「私には決める権限がない」
「妹を憎んでいたくせに。あの子がいなくなって、ほっとしたでしょう」
痛いところを、正確に刺された。
ほっとした自分がいなかったとは言えない。そこを否定すれば、私も遼介と同じように都合の悪い感情から逃げることになる。
だから、目を逸らさなかい。
「そう思った自分はいます。でも、その感情を患者への行動へ変えなかった」
「私は弱かったから?」
「弱さは、なぜしたかの説明にはなる。でも、していい理由にはならない」
顔が崩れた。
「遼介先生が、私の子を産ませてくれていたら」
「莉央へしたことを、遼介の責任だけにはできない」
「分かってる……でも、あの人に同じ痛みを知ってほしかった」
「痛みを知るのは莉央で、遼介ではありません」
両手で顔を覆う。
沙耶は、遼介から圧力を受けた被害者だった。
そのことには同情している。
でも同時に、私的な怒りで患者を待たせた人でもある。
可哀想な被害者か、許せない加害者か。どちらか一つに決められたら楽だった。
けれど、人はそんなに単純ではない。受けた傷が、別の人を傷つけた事実を消してはくれない。
「今話したことを、そのまま調査担当へ伝えてください」
「先生は、私を許さない?」
「私が許す立場ではありません」
「莉央さんは?」
「それも莉央が決めることです」
私は医療安全管理部へ連絡し、沙耶が接触してきたことだけを報告した。会話内容は、担当者立会いのもと改めて聴取されることになった。
その日の夕方、院長から正式な説明を受けた。
沙耶は、意図的な報告遅延と記録時刻の修正を認めた。
ただし、来院時点で流産が進行していた可能性があり、遅延と胎児死亡の医学的因果関係は断定できない。
それでも、私的な感情を抱く患者へ自ら接触し、評価と報告を遅らせ、記録を変更した行為は重大だった。
沙耶は就業停止となり、懲戒手続きが始まる。病院は警察と関係機関へ相談する方針を決めた。
調査へ提出されたメッセージから、遼介との長年の関係と、中絶をめぐる圧力も院内へ知られた。
脳外科の教授が遼介を呼び出した。
病院は、遼介へ調査対象者との私的接触を控えるよう通知していた。それにもかかわらず、彼は沙耶へ『余計なことを話すな』『千紘に利用されている』と送っていた。
その画面も、自分の代理人を通じて提出していた。
遼介が流産対応を指示した証拠はない。
しかし、調査中の職員へ口止めと受け取られる連絡を重ねたことは、医師としても管理職候補としても看過されなかった。
遼介は、黙らせればまだ立場を守れると思ったのだろう。
でも、隠そうとして送った言葉まで記録に残り、そのたびに自分の首を絞めていく。
それでも本人は、自分が追い詰められた理由をまだ他人の中に探していた。
その夜、遼介から電話が来る。
『千紘、お前が沙耶を追い詰めたのか』
「調査へ介入していない」
『あいつが全部話した。俺の医局での立場まで終わる』
「終わらせたのは、自分がしてきたことでしょう」
『俺も被害者なんだ。七年間、沙耶に執着されてきた』
最後まで、遼介の口から『自分がした』という言葉は出なかった。
沙耶が執着した。私が追い詰めた。病院が騒ぎにした。
責任を置く場所だけが、いつも自分の外にあった。
コメント
1件
うわあああ第26話読み終えた……!😭💦 沙耶の「怖がらせたかっただけ」からの告白、めっちゃ重かった…でも「弱さは理由になっても許しにはならない」って姉の言葉にぐっときたよ…。で、ラストの遼介の「俺も被害者なんだ」にはマジでイラッとしたわ。自分が蒔いた種なのに最後まで他責! 「千紘に利用されてる」って…そこじゃないんよ!! 沙耶も遼介も「被害者」って言いながら他人傷つけてるの、リアルすぎて辛い😢 姉の冷静な立ち位置がめっちゃ好きです…続きも読みます!!🌸