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放課後の相談室。
カーテンの隙間から差しこむ夕陽が、机の上でオレンジ色に揺れていた。
日下部は、いつものようにノートを広げてぼんやりしていたところに、ノックの音を聞いた。
「……入っていい?」
「いいよ」
扉を開けたのは、見覚えのある同級生だった。
教室ではあまり話さないタイプで、なんとなく人との距離を取る子。
少しためらってから、向かいの椅子に座った。
「“大丈夫?”って言葉、最近怖いんだ」
日下部はペンを止めた。
「どうして?」
「だってさ、本当は大丈夫じゃないのに、
“大丈夫”って答えないと、相手を困らせる気がして。
心配されたくないわけじゃないけど、
あの言葉、聞くとなんか胸がぎゅってなる」
言葉の最後がかすれた。
日下部はしばらく黙って、その子の手元を見ていた。
指先が、無意識に制服の裾をいじっている。
「“大丈夫?”って、便利すぎる言葉だよな」
「うん」
「本気で聞いてる人と、ただの挨拶みたいに言ってる人、ぜんぜん違う」
日下部は、軽く息を吐いた。
「俺も前に、“大丈夫?”って言われて、すげぇ怖くなったことある」
「え、日下部が?」
「うん。
心配されてるのに、ちゃんと答えられない自分が情けなくて。
“嘘ついてる”って思われるのが怖くて、
余計に笑ってごまかした」
相手は小さくうなずいた。
その目は、少し赤くなっていた。
「……“大丈夫?”って言葉、優しいけど、重たいんだよな」
「わかる」
「本当の意味で聞ける人って、そんなに多くないと思う。
“無理してる”って気づいても、何もできないってわかってるから、
とりあえず“大丈夫?”って言うんだ」
「じゃあ、どう返せばいいの?」
「無理に答えなくていいと思う」
日下部は静かに言った。
「“大丈夫じゃない”って言えないなら、“ありがとう”でもいい。
それだけで、ちゃんと伝わることもある」
沈黙。
夕陽の光が少しずつ淡くなっていく。
教室の遠くから、吹奏楽部の音がかすかに聞こえた。
「……俺さ、“大丈夫?”って言葉の代わりに、“いるよ”って言いたい」
その言葉に、相手は目を見開いた。
「それだけで、少し楽になる気がする。
答えを求めるんじゃなくて、
“ここにいる”って伝えるだけでいいんじゃないかな」
相手は、うつむいたまま小さく笑った。
「それ、いいね。……優しい」
「優しいとかじゃなくて、俺がそうされたいだけ」
日下部は苦笑して、椅子の背にもたれた。
夕陽が沈みきるころ、二人はまだ言葉を交わさずにいた。
けれどその沈黙は、どこか温かかった。
――「大丈夫?」の代わりに、
「いるよ」って言える人でありたい。