放課後の相談室。
カーテン越しの光が白くにじんで、部屋の空気は少し埃っぽかった。
机の上に広げられたノートの端を、風がめくる。
「……本当の自分が、わからないんです」
彼女はそう言って、うつむいたまま手を握りしめた。
「人に合わせて笑ってたら、気づいたら、何が本音なのかもわからなくなって……
楽しいって思ってるのか、苦しいのかも、もう曖昧で」
蓮司は、椅子の背にもたれてペンをくるくる回していた。
少しだけ目を細めて、ぼそっと言う。
「……“本当の自分”って、そんな簡単にわかるもんじゃねぇよ」
彼女が顔を上げる。
蓮司は視線を外さずに続けた。
「人に合わせるってさ、悪いことみたいに思われがちだけど、
それもちゃんと“自分の一部”だ。
空気読めるってのは、生き延びるためのスキルだしな」
ペンが一度、机に落ちた。軽い音。
「本音を出さねぇから偽物ってわけじゃない。
いろんな顔を使い分けて、それでも壊れねぇように生きてる。
それは、むしろ強ぇ方だよ」
「……でも、なんか空っぽな感じがして」
「空っぽじゃねぇ。詰め込みすぎて、見えなくなってるだけだ」
蓮司は、少し笑って、コーヒー缶を開けた。
「人に合わせるたびに、いろんな自分が積もってくんだよ。
優しい自分、無理してる自分、笑ってる自分。
どれも“ウソ”じゃなくて、“断片”だ」
彼女は小さく息をついた。
蓮司は、視線を窓の外にやって呟くように言った。
「“本当の自分”なんて、最初から完成形であるわけねぇんだよ。
その日その日で変わってくもんだし、迷って当然だ。
むしろ、迷ってる時間が一番リアルだろ」
教室の時計がカチリと鳴る。
それでも、時間は止まったように静かだった。
蓮司は最後に、軽く笑った。
「無理に“本当”を決めるな。
決めた瞬間、それ以外の自分を全部否定することになる。
いろんな顔持ってるままで、今はそれでいい。
その中にちゃんとお前がいる」
窓の外の空は、少しずつ夜に溶けていく。
彼は缶を指で弾きながら、ぼそりと付け加えた。
「……誰かに合わせて笑ってても、ちゃんと生きてるなら、それが“本物”だよ」
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