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#ハッピーエンド
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その背後で、ダリウスは一度だけ深く息を吸い込んだ。
肺に入る空気はまだ熱い。喉がひりつく。
それでも、その熱ごと抱え込み、呼吸を整える。
「行く」
呟いた時には、もう身体が動いていた。
地を蹴る。
砕けた石片を飛び越え、焼け焦げた床を滑るように駆け抜ける。
再び、エルダードラゴンの懐へ。
意識が、すっと沈む。
音が遠のき、視界の端が整理されていく。
巨体がこちらへ頭を巡らせ、残された片目が細まった。そこにわずかな愉悦が浮かぶ。
来る。
尾が大きくしなった。
巨大な鞭のような尾が、床をえぐりながら横薙ぎに迫る。
ダリウスは踏み込み、跳躍した。
全身をひねり、空中で回転しながら軌道を外へ逃がす。
尾の風圧だけで、頬が殴られたように痛む。
(……現役時代から、一度も成功してない技だ)
回転の最中、言葉が脳裏をよぎる。
同時に胸の奥が、妙に静かになる。
(でも——今なら、できる気がする)
ひねりきった身体が、そのまま落ちるように懐へ潜り込む。
左胸の鱗が迫る。
着地と同時に、足腰に溜めていた力を解放した。
「——《オーバースラッシュ》!」
低く沈み込んだ姿勢から、上へ斜めへ爆発するような斬撃が走る。
刃が鱗と肉をえぐり上げ、分厚い皮膚が裂けた。
緑色の血飛沫が吹き上がる。
熱い液体が頬を打ち、視界の端を染めた。
エルダードラゴンが低く唸り、巨体をのけぞらせる。
ダリウスの身体は、斬り上げた勢いのまま宙へ舞う。
回転しながら、刻みつけた傷口を見下ろす。
見えた。
裂けた肉の奥。胸腔のさらに奥。
淡く光る球体が脈動していた。
ドクン、ドクン、と。
規則的で、どこか機械的なリズム。
(あそこだ……)
確信が落ちる。
全身の筋肉を一本の線にまとめ、剣を振りかぶった。
重力も風圧も痛みも、今は置いていく。
「《オーバースラ——》」
言葉が最後まで紡がれるより早く、視界の下から影が襲いかかった。
尾だ。
さきほど躱した軌跡とは違う角度。
さっきの一撃を分析し、“次”を見越した軌道。
(——くっ)
ダリウスは空中で無理やり身体をひねった。
刃の軌道を捨て、逃げる方を優先する。
だが、間に合わない。
尾の先端が、逃げようとした腰をかすめた。
「かすめた」だけ。
それでも威力は桁違いだった。
「……っ——!」
肺から空気がまとめて吐き出される。
衝撃で身体が弾丸のように吹き飛び、硬い石壁が背中を叩きつけた。
鈍い音。
視界の端で石が砕け、粉塵が舞い上がる。
(……あ——)
考える前に、意識が暗闇へ引きずり込まれていった。
ダリウスの身体が、ずるりと壁から滑り落ち、その場に崩れ落ちる。
声も、息もない。
剣だけがかろうじて手から離れず、地面にかすかに触れていた。
エルダードラゴンが、わずかに首を傾げた。
床に転がる小さな人影を片目で見下ろし、鼻息をひとつ漏らす。
そして一瞥だけで、興味を失ったらしい。
口角がゆっくり吊り上がる。
巨体がきしむように向きを変え、その黄金の片目が、まっすぐオットーへ向けられる。
胸郭が、ゆっくり膨らんだ。
「……ブレス第二波、来るぞ」
オットーは前だけを見据えたまま、低く呟いた。
喉の奥で唾を飲み込む音が、自分でもはっきり聞こえる。
「——シールドバッシュ、全開ッ!!」
雄叫びと同時に、シールドが眩い光に包まれる。
その瞬間、エルダードラゴンの口腔から再び炎が爆ぜた。
理不尽なブレスが一直線にシールドへ叩きつけられる。
「ぐぅうううううううっ……!」
衝撃が腕から肩、背骨へと貫く。
足が床を削り、靴底ごと石をめり込ませていく。それでも押し戻される。
炎は熱いだけじゃない。
息を吸えば喉が焼かれる痛みが走り、皮膚の表面がじりじり炙られていくのがわかる。
「ファイ……エルン……キヌ……」
背後から聞こえるのは、かすれながらも途切れないエドガーの詠唱だった。
一音一音を拾い上げ、必死に繋いでいる。
「エドガーっ……俺っ……を支えてくれ!!」
オットーが歯を食いしばって叫ぶ。
膝の震えが、もう誤魔化せない。
詠唱がぴたりと止まる。
次の瞬間、エドガーの両腕が背中と腰をがっしり支えていた。
細い腕なのに、力が抜けない。
「下がりませんよ……オットー!」
「おおおおおおおっ……!」
ずるずる、と。
二人まとめて床を引きずられ、靴が砕けた石を蹴り飛ばしていく。
それでも膝は折らない。シールドも倒さない。
(……最後の、一絞りだ……!)
肺が焼ける。視界が赤く滲む。
それでも腹の底から、残りを絞り出した。
「くぅぅううう……そがぁあああああっ!!」
叫びと共に、シールドがさらに明るく輝く。
炎と光と衝撃の渦の中で、ほんのわずか、寸分だけ押し返した。
次の瞬間、ブレスが途切れた。
重圧が消える。
焦げた空気の匂いが一気に鼻腔を満たした。
「……っはぁ、はぁ……」
オットーは肩で息をしながら、視線だけで敵を見上げた。
エルダードラゴンの片目は恍惚とした光を帯びている。
手応えを楽しんでいる顔だ。
「完全に……遊んでやがる……」
喉の奥から、乾いた笑いがこぼれた。
横で、エドガーは支えていた手をそっと離し、すぐ魔導書を開く。
ページをめくる指が震える。だが瞳は冷える。
「……行きますよ」
短く告げて、詠唱を再開した。
その頃、床に倒れていたミラがうっすらと瞼を震わせる。
痛みが戻り、意識が底から浮き上がってくる。
最初に飛び込んできたのは、壁際で動かないダリウスと、満身創痍のオットーだった。
「ダリウス!!」
立ち上がろうとして、足に力が入らず膝をつく。
その瞬間、エルダードラゴンの爪が遊ぶような速度でオットーへ連撃を浴びせ始めた。
シールドと爪がぶつかり、金属を軋ませるような音が何度も響く。
「行くな、ミラっ!!」
オットーの声が飛ぶ。余裕のない声だ。
「大丈夫だ、奴は俺に興味を移したっ……ダリウスは無事だ!
お前が動くとっ……邪魔だ!!」
ミラは唇を噛み、拳を握りしめる。
足は出ない。目の前の閃きから視線を外せない。
「エドガー! 発動までの時間は!?」
オットーが怒鳴る。
「四十秒です!!」
エドガーは即答する。声は揺れない。眉間の皺だけが深い。
四十秒。
重さが、胸に落ちる。
「万が一のときは……俺のスキル、使うぞ」
オットーが低く言う。
エドガーの目が細くなった。
「使わせません」
魔導書から目を離さず、きっぱり言い切る。
「絶対に、使わせませんからね」
ダリウス不在の戦場。
今は、盾と詠唱だけが骨組みだ。
エルダードラゴンは“試し叩き”みたいに、意図的にゆっくり爪を振るい始める。
がぎ、と擦る。
がん、と叩く。
横薙ぎ。斜め。すくい上げ。
そのたびに衝撃が流れ込み、オットーの腕と肩が悲鳴を上げる。
(……強度を、確かめてやがるな)
黄金の片目が愉快そうに細まる。
攻撃の速度が、少しずつ上がる。
残光が連なって見えるころ。
「へっ……どうだ!?」
オットーが血の味のする口内を、無理やり笑みに変えた。
「俺のシールドは、堪能できたか……?」
虚勢なのに、背中の汗が限界を隠せない。
シールドの光がじわり、じわりと点滅し始める。
輪郭がちらつく。
(……あと十秒ってところか)
膝が笑い始める。腰に鋭い痛み。指が痺れ、握った感覚が遠のく。
「オットー! 私にできることは!!?」
ミラが叫ぶ。声が震えている。
オットーは前を見たまま答えた。
「……腰を揉んでくれ。限界だ」
「えっ——」
迷う暇はない。
ミラは背後に回り込み、両手で腰を掴むと必死に揉み始めた。
「っ、そこだ……! そこは今いじるな、逆に膝が笑う!!
……よし、そこ! そこだけ集中的にやってくれ!!」
「こ、こう!? こうでいいの!?」
「いいっ……! ……っぐ、今のであと五秒は延びた……はずだ……!」
ミラは涙目のまま揉み続ける。
シールドの光は揺れ、消えかけては持ち直す。
(……あと三秒)
オットーが腹の奥で数えた、そのタイミングを嘲笑うかのように。
エルダードラゴンが大きく腕を引いた。
筋肉が膨れ、爪が一段深く沈む。
(——来る!)
次の瞬間、今までとは比べ物にならない速度と重さで叩き込まれた。
「——ッ!!」
光が一瞬白く弾け、直後。
バキィィィンッ!!
耳をつんざく音とともに、シールドが粉々に砕け散った。
光の破片と金属の残骸が宙を舞い、床へ降り注ぐ。
「——あ」
巨大な爪が迫る。胸と頭を裂く軌道。
(終わったな……)
諦めが笑う。
(——《阿修羅》、使うぜ)
決めた瞬間、視界の端に影が飛び込んだ。
よろけながら、それでも前へ。
限界を超えた足取りで、オットーの前へ滑り込む影。
「——《シールドバッシュ!!》」
聞き慣れた声。
ドゴォッ!!!
別の盾が横から爪をはじいた。軌道がわずかに逸れ、爪はオットーの頭上すれすれを風圧だけ残して抜ける。
髪があおられ、冷たい汗が背筋を落ちた。
「……っぶねぇ……」
オットーがかすれ声で呟く。
前に立っている男は、盾を構えている。
ダリウスだった。
喉が裂けるほどの声を絞り出す。
「——エドガーーー!!」
託すための叫び。
即座に重なる。
「——《断絶の氷獄神葬》」
エドガーの詠唱が落ちた。
その瞬間、部屋から音が消えた。
炎の余韻も、咆哮も、呼吸も。
視界の色がすっと薄くなり、線だけが残る。
エルダードラゴンの背後の空間に、黒い亀裂が走る。
ピシッ、と。
そこから青白い霧が噴き出し、床を這い、足元に絡みつく。
氷の鎖が伸びる。足首、膝、尾の付け根、翼、首。
顎の付け根にも巻きつき、吠えようとした口を押し止める。
鎖から鎖へ、青白い光が走った。
次の瞬間、鎖ごと空間が閉じた。
氷の監獄が形成される。
厚い。重い。光が鈍る。
中から音はしない。
それでも、内部を走る刃の線が見えた。氷の刃が嵐のように弾け、巨大な輪郭を細切れにしていく。
やがて、獄全体に凍結が広がった。
ひび割れが走り、低い音を立てて崩れ落ちる。
粉々の氷片の中から現れたのは、のたうつエルダードラゴン。
尾は付け根から先が凍りつき、粉雪のように崩れ落ちた。
腹部には裂傷。隙間から緑色の血が泡立つように溢れ出す。
その奥で、光るものが砕け散る。
コアだ。
氷の刃が殺到し、粉々に破壊していた。
咆哮が途切れ、氷の霧がぱらぱら崩れ落ちていく。
どさり、と二つの影が腰を落とした。
オットーとダリウス。
「……っはああああああ……!」
ダリウスは手を地面につき、肩で荒く息をした。
「……腰が……終わった……」
オットーは盾にもたれかかるようにへたり込む。脚にもう力が入らない。
それでも二人の口元には、同じ表情が浮かんでいた。
笑いだ。
「……やったか……?」
「……あぁ。やった」
言葉にした瞬間、胸の奥の固まりがほどけていく。
少し離れた場所で、エドガーがふらりとよろめいた。
魔導書を杖代わりにして踏ん張る。
「……ふ……」
喉から漏れた音は、ため息にも笑いにも近い。
「やりましたよ……ダリウス」
顔を上げると、向こうで座り込む二人と目が合う。
ダリウスが汗と血と埃まみれの顔で笑う。オットーが親指を突き上げる。
ミラが遅れてふらふらとエドガーの傍へ来た。
「みんな……無事……?」
震える声で、視線を巡らせる。
ダリウスが片手をひらひら振り、オットーがぼやきながら笑い、エドガーが小さく頷いた。
「……よかった……ほんとに、よかった……」
ミラの目尻に涙が浮かぶ。肩が震え、息が乱れ、それでも前を見る。
ダリウスは天井を見上げた。
松明の火が揺れているだけの煉瓦の天井が、今はただの天井に見える。
「……三十階層、突破……か」
言葉が落ち、三人の胸に同じ重さで沈んだ。
「ははっ……」
オットーが遅れて笑い出す。
「ドラゴンだぜ? エルダードラゴンだぜ? よくもまあ、中年の身体で……」
「文句言うな。倒したのは事実だ」
エドガーが苦笑し、ダリウスも肩を揺らす。
限界の果ての笑い。
その底にあるのは、生き延びた確かさだ。
全員の肩から、目に見えない重しがゆっくり外れていく。
“やりきった”という安堵が、胸に残る。
だが。
白い霧の向こうから、ずるり、と重い何かが動く音がした。