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#独占欲
昼前、経理室には紙の匂いと乾いた鉛筆の音が満ちていた。グラツィエラは朝の確認用書類を束ねながら、ふと一枚の署名欄で手を止めた。
夜間設備点検報告。何度も見てきた紙だ。けれど、今日だけは名字の最後の払い方が妙に目についた。
――ジナウタス。
流れるように長く引いた線。古い台帳でしか見ない形に似ている。
彼女は椅子を引き、保管庫から救い出されていた古い支払記録の複写を広げた。創業家の名が並ぶその中に、よく似た筆運びがあった。時代は違うのに、癖だけが同じ家の骨みたいに残っている。
「……まさか」
その呟きを聞いたのは、扉にもたれていたゲティだった。
「気づいたか」
「気づきたくなかっただけかもしれません」
グラツィエラが紙を押さえたまま言うと、ゲティは肩をすくめる。
「もう隠しきれないさ。あの坊ちゃん、隠す気があるようで肝心なところ雑なんだよ」
「坊ちゃん、って認めるんですか」
「俺は昔から知ってる」
それ以上は言わない。けれど、その短い一言で十分だった。ジナウタスがただの夜勤責任者ではないことは、もう空気に匂いのように混じり始めている。
一方その頃、セルマは自室の鍵を二重に閉めていた。衣装箱の裏から、小さな革張りの台帳を取り出す。表紙の角は擦り切れ、金文字はほとんど消えている。
彼女は指先でその表紙をなぞり、低く息を吐いた。
「戻っていたのね」
創業家の古い記録。名の並び。相続の順。そこにある字を追うたび、彼女の顔から余裕が薄れていく。
最後の頁で手を止めた時、扇ではなく台帳の端がわずかに歪んだ。
「だったら、先に折るしかないわ」
閉じられた部屋の中で、その声だけが乾いていた。