テラーノベル
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サイラスは、敵軍がなぜ突然撤退したのか、その真意を測りかねていた。
だが、考えている時間はない。
敵が再び襲来することを前提に、備えを整えなければならなかった。
北の砦。
青野ヶ原。
そして、カルデル城。
この三点を結ぶ防衛線の構築は、急務だった。
兵を配置し、街道を整え、物資を運び込む。
次の戦いは、これまでとは違う。
サイラスには、それが分かっていた。
今まで相手にしてきたのは、グユク率いる中央軍。
だが――。
次に来るのは、おそらく敵の本軍だ。
そして、その軍を率いるのは。
バトウ。
スブタイ。
悪魔の軍師
サイラスは、地図の上に置かれた駒をじっと見つめた。
次の戦いは――。
敵軍師スブタイとの、真正面からの対決になる。
モンゴリア帝国にとって、征西とは一つの戦争ではなかった。
それはもはや、国家そのものの営みとなっていた。
なぜ西へ行くのか。
そんな問いをする者すら、もういない。
ジンギス・カーンが存命だった頃から、少年たちは馬に乗り、
家族とともに西へ、西へと移動してきた。
草原を越え。
山を越え。
川を渡り。
彼らはその途上で成長し、やがて青年となった。
そして今、その若者たちが帝国軍の中心を担おうとしている。
バトウとスブタイは、一人の将軍と三人の若者を呼び出した。
ベルケ。
ガントルガ。
アルスラン。
ブルゲト。
ベルケはバトウの弟であり、バトウ軍の前衛を預かる将軍である。
そして三人の若者は、いずれ帝国軍を背負うことになる次代の将たちだった。
スブタイは彼らを前に、短く告げた。
「征西を続行する」
その一言に、三人の青年の顔が輝いた。
「必ずや敵王都へ、一番に乗り込んでみせます」
真っ先に声を上げたのは、ガントルガだった。
軍随一ともいわれる弓の腕を持つ若者である。
その顔には、戦場へ出られる喜びを隠そうとする様子すらなかった。
「腕が鳴ります」
アルスランが拳を握る。
三人の中でもひときわ大柄で、馬上だけでなく、
組み討ちでも並ぶ者のない男だった。
「我らの馬も、まだ走り足りぬと言っております」
最後にブルゲトが笑った。
「縦横無尽の働き、とくとご覧に入れましょう」
馬を自らの手足のように操る。
騎乗の技だけなら、すでに古参の将にも引けを取らない。
三人の姿を見ながら、バトウは満足そうに頷いた。
そして、ベルケへ顔を向ける。
「ベルケ」
「はっ」
「お前の軍に、サルタクを預ける」
ベルケがわずかに眉を上げた。
サルタク。
バトウの息子である。
「いろいろ教えてやってくれ」
そこでバトウは、わずかに笑った。
「遠慮はいらん」
ベルケもその意味を察したように笑う。
「かしこまりました」
息子だからと特別扱いするな。
兵の一人として鍛えろ。
そういうことだった。
スブタイが再び口を開く。
「明日、諸将を集めて軍議を開く」
一同の表情が引き締まる。
「その翌朝、出立する」
「はっ!」
「各自、準備を怠るな」
四人は一斉に頭を下げた。
天幕を出ていく若者たちを、スブタイは黙って見送った。
外では、冷たい風が吹き始めている。
冬は近い。
雪が降れば、軍を動かすことは難しくなる。
残された時間は、そう長くない。
スブタイは地図へ視線を落とした。
青野ヶ原。
その向こうに、敵の王都がある。
本格的な冬が訪れる前に――。
ここを抜く。
スブタイは、そのつもりだった。
スブタイの諜報活動は、数百キロに及んでいた。
敵地深くまで送り込まれた斥候や商人、現地の協力者たち。
そこから、日々さまざまな情報がもたらされる。
敵軍の兵力。
砦の位置。
街道の状況。
そして――敵将たちの素性。
その中には、敵国軍師サイラス・イシスについての情報もあった。
「ほう」
スブタイは報告書に目を通していたが、ある名に手を止めた。
レイナ。
その名は、ジュチの手記にも記されていた。
スブタイは、古びた手記を取り出した。
そこに記されていたのは、かつて灰野で起きた出来事だった。
ページをめくる。
そして、ある少女の名を見つける。
「ここに出てくるレイナという少女が……」
スブタイは顔を上げた。
「この前の騎馬の女軍団長か」
報告によれば、若くして騎馬軍を率い、戦場でも非凡な働きを見せているという。
スブタイはしばらく黙って考えた。
やがて、小さく呟く。
「有能――」
そこで言葉を切った。
「そして、甘い」
その一言に、迷いはなかった。
スブタイは、かつてのジュチを思い出すように手記を閉じた。
人を見る。
戦場を見る。
そして、その者が何を捨てられないのかを見る。
それこそが、スブタイの戦い方だった。
灰野で起きた混乱と暴動。
それ自体は、戦地では珍しいことではない。
追い詰められた民が暴れ、恐怖に駆られた兵が秩序を失う。
スブタイは、これまで幾度となく見てきた。
彼が興味を持ったのは、その先だった。
ジュチの手記に記された、サイラスの姿。
(ジュチさまは、サイラスという弟子をたしなめておられる)
(だが――)
(この冷徹になれぬ弟子を、捨ててはおらぬ)
スブタイは、静かに手記を閉じた。
「戦術面だけを言えば……」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「恐怖に駆られた者を、利用する局面はいくらでもある」
それは、スブタイ自身が誰よりも知っていることだった。
恐怖。
絶望。
憎悪。
人が追い詰められたときに生まれる感情ほど、戦場では扱いやすい。
スブタイは、それらを利用してきた。
街を蹂躙し。
敵軍を追い詰め。
抵抗する者を、眉一つ動かさず葬ってきた。
それが勝つということだった。
それが戦というものだった。
――そう、思っていた。
「だが……」
スブタイの手が止まった。
(なぜ私は今になって……)
(この感情の答えを欲しているのだろう)
しばらく、沈黙が続いた。
そして――。
彼の瞼の裏に、あの日の光景が浮かんだ。
ジュベを失った朝。
何かが消えてしまったような、あの感覚。
戦場で幾万の命が消えても、感じることのなかった喪失。
あの朝だけは違った。
スブタイは、ゆっくりと目を閉じた。
そして、答えの見つからぬまま、再び手記へ目を落とした。
コメント
1件
うおお…第39話、めっちゃ好きな雰囲気だった! 次に来るのは敵本軍、しかも相手はスブタイか。サイラスが真正面からあの悪魔の軍師と対決するのかと思うと震えるわ。 それにしてもスブタイの内面、ジュベを失った喪失感がここにきてテーマになってるの熱いな。ジュチの手記に触れて「なぜ今この答えを欲しているのか」って自問するところ、めっちゃ人間味あって刺さった🔥 三人の若将のやる気もいいし、次の軍議と出立が楽しみすぎる!
葉音/ペア画中
43
#異世界転生
上野文
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