テラーノベル
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教室のざわめきの中で、ふとした声の抑揚に心臓が跳ねることがある。誰かの笑い声、机を叩く音、呼び捨てにされる響き。それらは一瞬で時間を巻き戻し、過去の光景を鮮やかに蘇らせる。今はもう終わったはずの記憶が、まるで新しい傷口のように痛みをもたらすのだ。
「もう過ぎたことだろ」
頭ではわかっている。過去は過去でしかなく、現実に自分を縛るものではない。なのに、体が勝手に思い出す。押し込めておいたはずの声や視線が、無防備な瞬間に裂け目から滲み出す。忘れたい。忘れてしまいたい。けれど、それはいつだって、こちらが油断している時にだけ現れる。
新しいことを始めようとするときも、過去が背後から囁いてくる。「お前には無理だ」「どうせ裏切られる」。信じてみたい人がいても、差し伸べられた手を握る前に、その言葉が耳の奥で繰り返される。結果、自分で距離を置き、自分で壊す。そうしてまた孤独に戻り、「やっぱりな」と納得したふりをする。
過去は単なる出来事ではない。いつのまにか、自分の一部になってしまっている。あのときの恐怖や悔しさが、心にこびりつき、今の判断や態度を決めてしまう。誰かに「それはお前の過去でしかない」と言われたとしても、そう簡単に切り離せるものじゃない。呼吸と同じくらい自然に、過去はついてくる。
夜になると、思考が勝手に巻き戻される。言い返せなかった場面、耐えるしかなかった瞬間、泣くことすら許されなかった記憶。まぶたを閉じれば映像は鮮明で、朝になればただ疲労だけが残る。未来を考えるどころか、現在さえもまともに掴めなくなる。
時々思う。もし過去を完全に消すことができたら、どんな自分になれるのだろうと。強く、明るく、誰かと肩を並べて笑える人間になれるのか。それとも、過去がなければ空っぽのまま、何も形を持たない存在になってしまうのか。答えは出ない。矛盾しているとわかっていても、過去を憎みながらも、過去によって自分が形づくられているのだ。
結局、逃げられない。過去は背後に潜む影であり、同時に自分の輪郭を作る土台でもある。どれだけ走っても、影のように追いかけてくる。
それでも――。
本当は、ほんの少しだけでいい。過去に押し潰されずに呼吸できる時間が欲しい。未来を信じる余裕なんてなくても、せめて今を生き延びられる場所があれば。
過去から逃げられない自分を、今はただ抱えて歩いていくしかないのだ。
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