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気配が違う。教室の空気が、昨日よりも静かで冷たい。
誰も何も言わない。けれど、全員が見ている。俺だけを。
座った瞬間、イスの足がわずかに傾いでいたことに気づく。
誰かが、脚のネジを外していたらしい。体重をかけた瞬間、椅子が片側に傾き、腰を強く打つ。
教室の端からくすくすと、笑いがこぼれた。教師はまだ来ていない。
机の中には、昨日のままのプリントではなく、ぐしゃぐしゃに濡れた雑巾が押し込まれていた。
においで吐き気がした。手を入れた指先が、ぬめりを帯びた何かをすくう。
雑巾ではない。給食で出た牛乳パックが潰されたものと、ビニール袋に入れられた使用済みナプキンだった。
男子の誰かが言う。
「で?今日も泣かねぇの?」
女子の誰かが笑う。
「てか、さ、あれで泣かないのって、逆にヤバくね?」
誰が言ったか分からない。けど、誰も止めない。
誰かが窓を開けて、「外の空気のほうがまだマシだろ」って、言った。
机が、ゆっくりと後ろに蹴られた。
「じゃま。そこにいんなよ」
教科書を開くと、赤い油性マジックで「クズ」「しね」「何様」と書かれている。
ページをめくるごとに、呪いの言葉。誰かが、丁寧に、何十ページにもわたって書いたらしい。
休み時間。
トイレの個室に入ると、扉の内側に彫られていた。
「くさそう」「しね」「誰にも必要とされてない」
壁には、スマホで撮られたと思しき後ろ姿の写真。
俺が廊下を歩いているところだ。そこに吹き出しが付けられていた。
《きもちわるー》《早く死なないかな》《いないほうがいい》
「おーい、ウンコマン生きてる〜?」
誰かがわざと大声で呼びかけてくる。
ドアノブがガチャガチャと回される。
その音が笑い声と混じる。
昼休み。
俺のトレーだけ、食器が一つ足りない。
箸が、折られていた。
味噌汁の中には、誰かの髪の毛が入っていた。長い。女子の誰かのものか。
「遥、髪フェチなの?」
「てか、食う価値あると思ってんの?」
「まじで吐きそう、隣来んなよ」
一言も返さず、食べるふりをする。
胃が収縮して、吐き気が止まらない。
でも、捨てられない。
「また残してんの?」と誰かが呟くから。
午後の授業。
教科書を開けない。
ノートが破かれていた。
机の裏に、ガムテープで固定されたメモ。
《先生にチクったら、わかってるよね》
その筆跡は、知っている。
クラスで優等生とされる女子。いつも委員長をやっている子のもの。
彼女は授業中、誰よりも静かに、正しい姿勢で板書を写している。
放課後。
帰り道、背後に気配を感じる。
でも振り向けない。
声をかけたら負けだと知ってる。
路地裏で、小石が背中に当たる。
声にならない声が、背中越しに届く。
「存在すんなよ、な?」
そしてまた、静かになる。
家。
ただいまとは言わない。
誰も返さないから。
靴が一足、廊下の真ん中に投げ出されていた。
俺のものだ。
誰かの仕業だと、すぐにわかる。
それでも、無言でそろえて片付ける。
夕食の時間、席に座ると義母が言った。
「今日も役立たずだったんでしょ?」
誰も笑わない。
誰も責めない。
ただ、そういうものとして、俺がそこにいる。